「ワンダフル・ライフ」のつづき, Debian sarge の GhostScript, ソフトの少ない PSP
「ワンダフル・ライフ」のつづき
「つづく。」と書いてから一日空いちゃいましたが、スティーブン・ジェイ・グールドさんの「ワンダフル・ライフ」に対する感想の続き。
グールドさんの言う、それまでろくな根拠もないのに暗黙の前提とされていた梯子形 (生物はより高度な生物としてはしごを登るように進化してきたというイメージ) や逆円錐形 (現代に近いほど生命の多様性は増えている) の進化に関する伝統的なイメージに対する疑問はよく分かるし共感も出来るんですけど、かといってそれがそのまま、グールドさんの結論 (いわゆる断続平衡説) に結びつくのが納得出来ないんですよね。読んでいて、ちょっと根拠薄弱感と言うか、我田引水な感じがしました。
グールドさんが言うには、バージェス頁岩から見つかったカンブリア紀の生命達は、現在の生物の分類法の枠を大きく逸脱した、遙かに大きな多様性を持っている、だから今よりもカンブリア紀の方が生命の多様性は大きかったのではないかと推測できる、ということなんですけど、全くの素人の僕から見ると、この本に出てくるカンブリア紀の生命達が、それほど大きな異質性を持っているようにはとても見えないんですよ。もちろん生物の分類ってのは体節の数だとか、体節当たりの足の数、足の形、口の形など、素人目には非常に細かいところで決まっていて、見た目が似ているからと言って似た生物ではない、という前提は分かっているのだけれど、バージェス産の生物たちは、それぞれ大きさもそれほど違わないし、どれも体節があって足が生えてる、という昆虫や甲殻類と似た体つきをしていて、確かに現代の分類からは逸脱してるのかもしれないけど、それはたまたま現代の生物達とは異なる部分の遺伝子が変異している、ってだけなんじゃないかな、と思ったんです。
僕が思ったのは、遺伝子の老化、という話がこの本でも少し出てくるのですが、遺伝子が本質的に自らのコピーを残すという性質を持つ物質なのだとしたら、非常に長い年月が経つ間に、安定した部位はどんどん安定方向への圧力を増していき、相対的に不安定な部分 (変異が起きやすい部分) は辺縁に追いやられていくのではないかという直感です (自然淘汰とは別の力、より安定した性質を持つ遺伝子の方が原理的に同じ遺伝子を後世に伝えられるはず、という当たり前の理由から)。変異が不十分で丸ごと淘汰されてしまってはもちろんダメだけど、そうならない範囲であれば、より安定的な遺伝子の方が自らと同じものを残しやすいのは自明だと思ったわけです。
そう考えると、カンブリア紀の遺伝子はまだそういう意味で安定度が低く、変異を起こしやすい性質を持っていたんではないか。自然淘汰とは別の理由で、変異を起こしやすい遺伝子は原理的に同じ遺伝子を後世に残せる可能性が低く、そのため現代ではある特定の門しかいないように見えるのではないか、と考えました。
全くの素人考えなので、「何いってんだ、遺伝子の変異率は部位を問わず一定だよ」とか言われちゃうとぐうの音もでません(^^;。もしとんでもない間違いがあれば、どなたかご指摘いただけるとうれしいです。
Debian sarge の GhostScript
Linux な世界では、プリンター出力形式の標準として PostScript が用いられており、フリーな PostScript インタプリタとして GhostScript (以下 gs) が用いられています。
Debian sarge にした後、いつの頃からか gs が起動しなくなっていることに気が付きました。具体的には LANG=ja_JP.eucJP1 などの状況で gs を起動すると、下記エラーが出て終了してしまいます。
Unrecoverable error: invalidaccess in astore
フォントの設定周りかインストール不良かとしばらく悩んでいたんですが、何のことはない、「gs-ja」パッケージを削除しその代わりに「gs-esp」パッケージを入れたら直りました。sarge の gs で日本語を使いたい場合はこちらのパッケージを使うのが正解らしい。標準で入る「gs-gpl」等でもやっぱり日本語は出力できないらしいので注意。
ちなみに上記パッケージをインストール後、/usr/share/gs-esp/7.07/lib/ 以下の CIDFnmap、CIDFnmap.CJK、CIDFnmap.Win 等をホゲると利用するフォントをいろいろ選択出来たりします。詳しくは省略〜<ヲイ。
ソフトの少ない PSP
昨年発売された PSP、本体は相変わらずそこそこ売れているようながら、ソフトがちっとも出ないという評判らしい。
そんな時、僕が思うのは PS の発売時のことで、当時、発売から同じくらいの次期を経た時点での PS は今の PSP よりもずっと売れていなかったし、ソフトの量、質とも、開発力で圧倒的な差があったセガサターンに負けてたと思うんですよ2。そういう意味では任天堂の開発力にしてやられている今の状況とちょっと似てる。
それでも僕がずっと PS に commit し続け、応援していた理由は、PS にはなんだか面白ゲなものを見せてくれそうな新しいソフトハウスが参入してきていたからだったんですよね。フロムソフトしかり、ガストしかり。もちろんナムコさんのような大手の存在も大きかったけど、個人的には新参メーカーの方がより気になってた。
今の PSP に足りないのは、そういう「新しい血」を呼び込むことが出来てないところかな…なんてちょっと思いました。