「ビラヴド」, 読書の時間, こないだのデカレンジャー, 日曜に
「ビラヴド」
トニ・モリスン著。南北戦争前後のアメリカにおける、黒人奴隷の「自由」や「自身」を取り戻すための苦悩の日々を描いたお話。あゆみさんに借りた本。
この本では、当時のアメリカにおける黒人奴隷の境遇が、当事者の視点で切々と語られています。読むのがつらいくらいのその告白を読みつづけている間に僕が感じたのは、絶望的な「共感の欠如」でした。白人の『先生』は、単なる家畜と同じように奴隷を扱います。そこに悪意があるわけではなく、奴隷というものが他の家畜と同じ、農場主にとっての資産に過ぎないと思っているだけなんですね。出産可能な年齢の女奴隷は資産を増やしてくれる可能性があるから大切、まだ若い子供奴隷を売って大人の奴隷を二人買おう、女奴隷に子供を生ませるために若い男奴隷とまぐわせよう、エトセトラ、エトセトラ…。『先生』が来る前に農場を所有していたガーナーさんにしても、「同じ人間である」というレベルでは共感を持ちつつ、しかし奴隷という立場への共感は持ち得ませんでした。
一方の黒人の側でも、共感し得ない白人による扱いを受け続けたゆえ、自由州において黒人の権利獲得に尽力している白人に対してすら、彼らの考えていることなど分かるわけがない、とあきらめてしまっています。
本を読みながら僕は、ガンジーさんが菜食主義者だったことを思い出しました。それはもちろん、彼がヒンズー教徒であったことと深い関係があるのでしょうが、彼の持っていた「共感の力」とも関係しているのではないだろうか、と思いました。ガンジーさんが大衆から圧倒的な支持をうけた理由として、大衆と同じ服を着、大衆と同じものを食べて、歩いて大衆の元へ赴き、大衆に対して共感出来る言葉で語りかけることが出来たからだ、と書いてありましたが、ガンジーさんのサッティヤーグラハも、原理的にはその、人間の持つ「共感の力」を用いたものと言えるのではないでしょうか。
人は、共感を感じないものに対してはどこまでも残酷になれるようです。しかし逆に、「共感の力」はアメリカで奴隷制度を廃止させました。他者への共感を拒否する人間はまた、他者に共感されることもなくなってしまう、ということを、いとも簡単に人を殺すことの出来る人達には考えて欲しいです。
読書の時間
総計三時間にもなる行き帰りの電車で本を読んでいればそりゃたくさん読めますがな>うさ。薄い文庫本なんかだと一往復で読み終わっちゃうんですよね。だから最近は厚い本が好き。厚すぎると腕が筋肉痛になっちゃうのが難点。「虚数の情緒」は大変だった…。
森博嗣は犀川&萌の最初の三巻だけ読みました。その野暮ったさが結構ツボなので、そのうちまた続きを読むかも。
こないだのデカレンジャー
「ウメコ、俺じゃない」
わはははははははは。あいかわらず最高っす。今回はかなりお色気過多だったなー。父親向けなんでしょーか?
日曜に
家族でお出かけ。駅を歩いているとあゆみさんが恥ずかしそうにしている。
「どしたの?」
と聞いてみたところ、
「すっぱいお口をした Suica ペンギンのポスター1を見て、思わず同じ顔をしちゃったところを、ちょうどすれ違った人にばっちり見られちゃって恥ずかしかった」
とのこと。わはは。あるある、そういうこと。