birdQUALIA 010&017, 「第四の手」, 「バルバラ異界 2」

QUALIA 010&017

新しい QUALIA が出ましたね。人間の可聴域を大きく超える、120KHz(!) まで再生可能、という超高級ヘッドフォン「010」と、真鍮削り出しケースの再生専用 MD プレーヤ「017」です。
アナログ系デバイスはある意味お金をかければかけるほど良いものが作れる、とも言えますから、ヘッドフォンの方はその存在価値も理解できますが1、MD プレーヤの方は訳がわからない。
そもそも MD、というメディア自体の寿命がもうすぐ尽きそうだし、なにより「QUALIA」を買うような人が、いくらモバイル環境だからといって圧縮劣化音楽を好んで聞いているとはとても思えません。「携帯性」や「利便性」のトレードオフとして仕方なく受けて入れている、という気持ちのはず。そう考えると、現行の MD フォーマットというのは、既に「携帯性」や「利便性」の面でも決して優れているとは言えないわけです。
あんまりわけが分からないので、僕なりの「QUALIA」携帯ミュージックプレーヤを考えてみる。
今ごく普通に発想するとたぶん HDD プレーヤということになるのでしょうが、それでは面白くない。僕ならここは一気に、Flash メモリを 10Gbytes くらい積んだものにします!(笑。レキサーの 4Gbytes CF カードが17万くらいですから、30万〜40万くらいで作れるでしょう。シリコンメモリなら振動問題も気にする必要はないし、モータの回転に伴うノイズとも無関係です。電池も長持ちさせられるでしょう。何より、5年後くらいを考えた時、MD や HDD では既に動作しなくなってしまっている可能性が高い。余談ですが、僕は「QUALIA」が目指すところを考えたら、ライカのカメラのように、5年後、10年後でも慈しんで使い続けられるような、モノとしての普遍性を備えていないとダメなんじゃないかと思うわけです。いくら綺麗なケースを持っていても、肝心の機能が使えなくなってしまっていたら、それはただのオブジェになってしまいます。そういう余生も考えられないわけじゃないですけど、モノの一生としては決して幸せなものではないのではないでしょうか。

「第四の手」

第四の手

ジョン・アーヴィングさんの本。インドでサーカスの取材中に左手をライオンに食べられてしまったニュースキャスターのお話。

マスコミを実際に動かしているように見える力学についての批判的な意見あたりは、今では誰もが思っていることだとは思いますが2、小説家として、そうではない世界、本当の人間の世界を描こうという姿勢には素直に共感します。

それにしても、この話にはいわゆる「愚かしい人」がほとんど出てこないような気がします。あ、パトリック (主人公) やゼイジャック (手の移植医) の前妻くらいか。「前妻」な人達がことごとくヒドイ描かれ方をしているのは何か恨みでもあるのだろうか(笑。さて、パトリックは普通の感覚で言うとかなり女性関係にだらしなくて、これからプロポーズに行こうという前日に別のメークの女の子と一夜を過ごしてしまったりする男なんですけれども、登場人物が誰も彼もある意味それを受け入れている、端からネガティブなものとしてではなく基本的にポジティブなものとして受け入れているのが僕としてはちょっと不思議でした3。僕にとっては気持ちの良い世界ではあるのですが、現実感は薄いかも。

とはいえ、この話の最終的な落ち着きどころはとても共感出来るものでした。面白かった。

「バルバラ異界 2」

バルバラ異界 2

面白かった。結構入り組んだ話で読み進むのに時間がかかるんですが、今はバラバラなお話のピースが、いつどんな形で収斂していくのかを考えるとドキドキします。

カニバリズムと BSE、そして人魚伝説を組み合わせて見せたアイディアはさすが!

bird「スイート・ビター・ホーム」, 「しゃにむにGO (17)」, 「DEATH NOTE (1)」, マンガの話

「スイート・ビター・ホーム」

スイート・ビター・ホーム

「家」にまつわる短編を集めた坂井久仁江さんの短編集。彼女はもう漫画家歴20年なのだそうです。すっかりベテランですな。この本もとっても面白かった。特に「404号室」、「最後の晩餐」がお気に入り。

雨の日は恋をする」を雑誌で読んだ時にはあまりピンと来なかった坂井さんですが、「花盛りの庭」シリーズをあゆみさんに借りて読んで以降、すっかりはまっています。僕にとってもっとも好きな漫画家さんの一人かも。

「しゃにむにGO (17)」

しゃにむにGO 17

しゃにGOの17巻です。しゃにGOも僕にとって今一番新刊が待ち遠しい一冊。前巻は池やんコーチの昔話1がメインだった反動か、この巻は延っちテニス満載。今時こんなに純粋なスポ根マンガ、少年誌でも珍しいんじゃなかろうか…。

そういや表紙がひなこしゃんの入浴シーン、ってのはサービス満点だなぁ(笑。

「DEATH NOTE (1)」

DEATH NOTE 1

「ヒカ碁」の小畑健さんの新刊です。今回も、大場つぐみさんという人の原作付きです。

簡単に言うと、死神の落とした DEATH NOTE2 を拾った主人公がいろいろする、という話。ウィングマンのドリームノートの反対、ってことですか…って古いか。

話の持って行き方から考えて、頭の良い主人公ライト (キラ) と、ライバルであるエルの知恵比べが見所っぽいんですが、今ひとつライトが賢く見えないのが残念。ルックスのせいか、どーも僕は「東京大学物語」の村上を思い出してしまうよ(笑。

マンガの話

今日はマンガの話ばっかりだなぁ(笑。他にも、「名探偵コナン (45)」や「KATSU! (12)」、「プライド (2)」も読みましたが特に語るべきことはナシ。一条ゆかりさんはアシスタント作画比率が激増していて、ちとやばいんじゃなかろうか…という雰囲気。槙村さとるさんと同じようなことになってきてるなぁ。
あ、そういえば萩尾望都さんの「バルバラ異界 (2)」をまだ読んでないんだった!1巻もとても面白かったので超期待!

bird「世界の果てでダンス」, MotoGP開幕戦

「世界の果てでダンス」

世界の果てでダンス―ル=グウィン評論集 「闇の左手」「ゲド戦記」などで知られるル=グウィンさんの講演や論評を集めた本です。「SF界の女王」なんて言われる彼女ですが1、近年はフェミニストとしての発言や行動も積極的に行っているのだそうで、この本もフェミニスト的立場から書かれた論評がたくさん収録されています。

正直、僕は「フェミニズム」についてほとんど何も知らないのですが、この本でル=グウィンさんが何度も「マッチョな」男性作家たち2をこき下ろしているのを見、なかなか痛快な思いを味わいました。こき下ろす、といってもあしざまにけなすとかそういうんじゃなくて、「しょうがないお馬鹿さんね」とお母さんがダメ息子を諭すようにその無意識の偏見を暴露していくのです。男の僕が言うのは不謹慎かもしれないけど、ちょっと楽しい。

ル=グウィンさんの書いている、議論/論理のための父語 (ファーザー・タング) ではなく、生活の言語でありこれまで明らかに下のものであると見られていた母語 (マザー・タング) で語ろう、という話なども、個人的にここ最近よく考えていることとの類似点を見3、興味深かったです。

ただ、日本人の僕にはル=グウィンさんが憂慮している「男性至上主義的傾向」と言うものが、本質的には分からないのかも…と思ったりもしました。彼女が書いている欧米における「男性至上主義」は、あまり日本の状況には当てはまらないような気もしたからです。彼女自身、男性至上主義的な西欧文明への対比として中国の老荘思想やネイティブ・アメリカンの哲学、アステカ人の考え方などをあげていますが、日本人的感覚からすると前者より後者の方が馴染みが深いようにも感じます。もちろん、かといって男性至上主義的傾向が日本にないか、と言われれば、全然そんなことはないわけですけれども…。

実は彼女の本は冒頭であげた「闇の左手」と「ゲド戦記 (「帰還」まで)」しか読んでなかったりするのですが、もっとたくさん読みたくなりました。

MotoGP開幕戦

びっくりです!「マシンの力で勝った」と言われるのを嫌って今年ホンダからヤマハへ移籍したチャンピオン、ヴァレンティーノ・ロッシが、なんと開幕戦で見事優勝しました!ただのルパン三世じゃなかったんだ(笑。

bird「壊れた脳 生存する知」

「壊れた脳 生存する知」

壊れた脳 生存する知 3度の脳卒中により高次脳機能障害を患った整形外科のお医者さんが、患者の視点から見えること、感じることを記録した本です。

高次脳機能障害とは、脳に受けた障害により、物の認知や注意が難しくなってしまう病気のことです。最初読み始めた時、この本の文字が非常に大きいことに驚いたのですが、彼女自身が障害を患った結果字を読むのが非常に難しくなってしまったこともあり、彼女と同じような高次脳機能障害を患っている人たちにも読みやすいようにと、そのようにしたのだそうです。

そう、この本はとてもポジティブなエネルギーに溢れています。高次脳機能障害の程度としては彼女のものはかなり深刻なものなのだそうですが、にもかかわらず社会との関わりを失わず、シングルマザーとして一人息子を育てながら最終的には職場復帰まではたしています1。あたかもさらりとそういったことをしたかのように書いてありますが (メインは自分の病気により世界がどう変わって見えるか、という点にフォーカスしているので)、きっと、その影にはものすごい努力があったのだろうと思います。そのポジティブパワー、僕は尊敬します2

bird追記, 「指輪物語」

追記

「退避勧告を無視して入国した」という点についての批判については、池澤さんのご意見、

 郡山さんと高遠さん、それに今井さんは会社や官庁の命令ではなく、自発的にイラクに行きました。
 危険なのに行った。警告はしてあった、と外務省などは言っています。
 たしかに彼らは危険を承知で行った。
 イラクの現状を見て報道し、子供たちに手を貸し、平和の実現を早めるために行った。
 残念ながらこの目的は彼らを守ることになりませんでした。平和のための活動家であることより、イラクに軍を送り込んだ日本という国の国民であることの方を相手は重視した。
 彼らは行くべきでなかった、と言う資格はぼくにはありません。行くか行かないか、アンマンでそれを判断できたのは彼らだけです。危険は大きい。しかし自分たちが行ってしなければならないことの意義も大きい。
 ぼくは彼らの判断に敬意を表し、無事を祈ります。

と同じように感じています。

ここでも、日本政府の対応には何か硬直したものを感じます。「勧告」は「勧告」であって、法的な強制力を持ちません1。日本政府は、本当に自分たちが行っているのが「勧告」だ、ということを理解していたのでしょうか?「勧告」であるということはつまり、政府お薦めの方法を取らない国民も許容する必要がある、ということです。それだけの懐の深さを求められる、ということです。どうも「建前と本音」的な意識の乖離があるような気がしてなりません。

自民党の額賀さんが、「強制的渡航禁止の法整備検討を」と発言されていますが、こういった国民の自由を制限する法律に関しては、ぜひ慎重に議論を重ねていただきたいと思います。昨今の、数にモノを言わせた強行採決ばかりの国会を見ていると、少し悲観的にもなってしまいますが…。

「指輪物語」

指輪物語 前回読んだのはいつだったかなぁ。中学生か高校生の時だったと思うのですが、ほとんど完全に忘れていたため、どちらかというと映画の印象を反芻しつつ読みました。どうも僕は文章で書かれた風景描写をアタマの中に再現するのが苦手なのですが、映画のイメージがあったことで今回はその点とても楽に読み進めることができました。

「映画が先がいいか、本が先がいいか」と言われれば、僕は映画が先の方がいいんじゃないかなぁ、と思います。映画の方が、やはり短い尺に話を収めるためにいろいろと工夫されている分、どうしても人物描写などがおおざっぱになっています2。映画を見たあと本を読めば、より深い記述に総じて満足出来ると思います。逆だと、「ファラミアはそんな人じゃない」とかいろいろ欲求不満がたまりそう。

そういえば、「この物語は暗に当時の現実世界 (第二次大戦) を暗示している」という話を以前よく聞きましたが、トールキン自身が新版の序文で「そういう意図はなかった」と否定しているのですね。トールキンはいわゆる「寓話」と言うものが嫌いなんだそうで、「寓意性を持つ物語」より、「適応性のある物語」を書きたかったのだ、と書いています。なるほどなぁと思いました。

birdイラクのこと, 鳥乃入園式, 甥っ子誕生, 本

イラクのこと

とても心配しながら、新たなニュースが入るたび、いろいろと考えています。
3人の人質の方々に対して、「自業自得」と思う人、そればかりか「バカな人達」と考える人がいる、という話は、別段熱心に情報収集しなくとも伝わってきます。
僕は、彼ら三人を尊敬こそすれバカにすることは出来ません。彼ら三人も、今のイラク、という日本と比べれば圧倒的に「死」が身近に存在する国に行くことは理解していたでしょう。当然、「彼ら自身の死」という事象に関しては、何らかの覚悟を持って赴いたことでしょう。しかし、彼ら自身の命が、政治的駆け引きのカードとされることまで、彼らは予測しなければならなかったのでしょうか。予測出来なかったことはそんなにバカにされることなのでしょうか。僕にはそうは思えない1
彼らは、泥沼化するイラク情勢に関する情報を受け、「今自分に出来ることをし」にいくために、自発的にイラクに赴いた人達です。殺されないために、拉致されないために、彼らの成した努力が十分だったのか確かなことは分かりませんが、現地の事情をほとんど知らない日本人が即断してしまえるほど無分別だったとも僕には思えません。
そして。
彼らの家族が、「自衛隊の撤退」を主張していることを、大手新聞も含め批判しています。批判者達は、「テロに屈するべきではない」と繰り返しています。でも、人質の安否も不明、日本政府からも希望の持てる展望を何も語ってもらえない、というような状況に置かれた家族の心情として、現状唯一の希望の持てる方向である「自衛隊の撤退」を訴えることは、そんなに悪いことでしょうか。彼らが言わずして誰が言うと言うのでしょう?
まして、彼らは激しく取り乱すわけでもなく、可能な限り理性的に政府に対して「撤退も選択肢に残しておいて欲しい」とお願いしているように僕には見えます。それと比べると、まだほとんど何も情報が得られていない段階から、「自衛隊を撤退するつもりはない」と決めてしまった日本政府の対応の方が、よほどヒステリックというか、短絡的な印象を受けます2
「テロに屈するべきではない」という意見も正論ではありますが、「なむあみだぶつ」のような万能なものではないと思うのですよね。常に状況を鑑みて適用しなければならない、ごく普通の論理です。時にはテロリストを増長させるリスクを負った上で、敢えて屈する必要があることもあるでしょう。盲目的に信じていいわけではないはずです。
例えばこんな話はどうでしょう。「テロに対してもっとも屈しない国」はたぶん名実ともにアメリカですよね。それこそやり過ぎなくらい力による報復を行うわけです。逆に日本は、福田元首相が人質の命と交換にテロリストの要求を飲んでしまったりして、力による報復も行わない/行えないことがあらかじめ分かっている、なめられまくっている存在なんだそうな。
でも、現実のテロ発生率を比べてみると、全く逆ではありませんか?世界のテロリストになめられまくっている (らしい) 日本よりも、アメリカやロシアのような、どちらかというと力を持ちテロに対して報復を行ってきた国々の方がテロの被害を受けているのではありませんか?
もちろんこれは半分冗談で、そもそもテロ発生率が「テロへの対応」のみに相関する、なんてことがあるわけないんだけれども、「テロに屈するべきではない」という意見を、無批判に受け入れるべきだとは僕には思えないんです。
ところで、イラクの人達が米軍による占領に反対し撤退を望んでいるとしても、現在取るべき方法はゲリラ的な襲撃やテロ行為ではなく、本当は「サッティヤーグラハ」、受動的抵抗だと思います。米軍の銃口の前で一人一人が抵抗することはとても勇気のいることだと思いますが…。

鳥乃入園式

先週の土曜日は鳥乃の入園式でした。今週から鳥乃も幼稚園。朝、子供たちが皆出かけてしまうと家の中がすごく寂しく感じます。親の方が子離れ出来てないよ…。

甥っ子誕生

昨日の夜、弟夫婦のところに無事男児が誕生。めでたいことだ。

「指輪物語」もその次に読んでいた本も読み終わっちゃったんですが、今日は遅くなってしまったので感想はまた後程。

birdデジカメ壊れてなかった, デジカメといえば

デジカメ壊れてなかった

以前壊れたと思っていたデジカメは、単に液晶ファインダーが off になってただけでした。気づくのに2ヶ月もかかった俺って…。

デジカメといえば

壊れた、と思ってたせいもあり、ちょっと最近のデジカメ事情をいろいろ調べていたりしました。
各社カメラのサンプルを見ていて、最近のカメラの中ではどうやら Panasonic のカメラの写り方が僕の好みっぽい。なんだか微妙にざらざらした質感が、妙にぺったり、ケバケバした写りのカメラが多いなかで僕には気持ちよく感じます。人によっては「ノイジー」と感じるかもですね。
本当は DMC-LC1 が一番気になるけど、大きさ、価格的に微妙なので、もし本当に買うなら DMC-FX1 かなぁ。買わないけど(笑。

bird「ヨコハマ買い出し紀行(11)」

「ヨコハマ買い出し紀行(11)」

ヨコハマ買い出し紀行 11 指輪物語の方はいよいよ佳境1ですが、これも合間に読んだマンガ。うちの妹なんかに言わせると「あざとくて嫌い」なんだそうですが、僕はなんだかんだいいつつ最初から読んでます。

ところでこのマンガもいわゆる「終末」、人類の黄昏を描いたものだと言うことになっていたと思います。最近、このタイプの「終末」話、「ナウシカ」なんかもそうですが、人類の力が衰退して徐々に自然に圧倒されていく話に、微妙な違和感を感じるのです。

今の僕には、このタイプの「終末」感には、自然に対する甘えがあるような気がしてならないんですよね。人類がいくら幼く未熟で傍若無人を働いた (その結果自ら滅びの道に入り込んだ) としても、自然はそれを全て受け止め、最終的には全てを元の通り癒してくれる、という虫の良い希望が含まれているように思うのです。「ナウシカ」の腐海や王蟲なんかは、思いっきりそういう、時に厳しく、時に優しい包容力のある存在として描かれていますよね。

でもそれって無邪気に期待できることでしょうか。自然、って、なんとなく一つの大きな主体のように感じてしまいがちですが、実際には小さな循環系、自己組織系の集まりです。そして当然ながら、人間もそこに組み込まれています。「人」とは別に「自然」という主体があるわけじゃなくて、人は自然の一部なわけです。当たり前ですけど。

人が自然の一部である以上、人の成した結果こそが自然の未来である、ということになるのではないでしょうか。自らの成していることをきちんと認識せずに、いたずらに多様性を奪ったり環境を変化させたりしていると、自然はそれを鏡のように反映するでしょう。「人間のやることなんて」という過小評価は、バタフライ効果によって否定されるでしょう。自然、いわゆる生物圏は完全なカオス系ではありませんが、かといって変化がすぐに静まってしまう秩序系でもありません。

もし人類にゆるやかな終末が訪れるとしても2、たぶんそれは「自然による救済」などではなく、それまでの業に真っ正面から向き合わされるものになるのではないか、それも腐海や王蟲のような慈愛に溢れたものではなく非常に冷酷な現実として、と僕は思うのです。

birdその後の Opteron, その後の PSX

その後の Opteron

Fedora Core 1 for x86_64 入れてみましたよ。さらにとんでもなく速くなった処理あり、かえって遅くなってしまったものあり。安定性なども含めてトータルで考えると 64bit Llinux の価値は現在のところまだ微妙ですね…1

その後の PSX

2回めのアップグレード後、ゲームを起動するタイミングや市販の DVD を見ようとするタイミングで、「しばらくお待ちください」と言いながら静かに電源が OFF になってしまうことがあるような。「あれ?」と思いながら電源再投入すると普通に動くんですけどね。
フラッシュ操作時や通常再生時にもごくまれに、再生が突っかかるようになった気も。こっちはそろそろ HDD が満タンになりそうなことと相関があるのかなぁ。

birdOpteron 速っ!, SuSE Linux, ハッブル壁紙集

Opteron 速っ!

Opteron 248 (2.2GHz) ×2、というマシンの評価をする機会があったんですが、これがとんでもなく速い。比較用に使った Xeon 3.06GHz×2、というマシンと比べても (当然 Xeon マシンは HT enable です)、apache bench、pgbench (PostgreSQL)、Java による CPU 処理など一般的なサーバが行う処理についてはほぼ全勝、モノによっては倍くらい速いものも。しかもこれは Xeon マシンと同じ RedHat Enterprise Linux 3、つまり 32bit OS 上での結果なのですから、またびっくりです。Fedora Core 1 (x86_64) や SuSE Linux 9 (x86_64) のような 64bit 環境だとどうなっちゃうんだろう…。
サーバ用ハードウェアって単純に性能だけで決められないことも多いから、2倍の性能を持っていることがすぐにシェア拡大にはつながらないでしょうが、同じくらいの価格で倍くらいの性能が得られるとなると、徐々に稼働実績も出来てきたら、そのうち Opteron を選ばない手はない、って話になっても不思議じゃないなぁ。

SuSE Linux

カメレオン好きの僕としては最近 SuSE が気になっています1。Sun の Java Desktop System のベースも SuSE だそうで。もうすぐリリースの 9.1 では 2.6 Kernel も入るみたいだし、ちょっと使ってみようかなぁ…2
ところであのカメレオンはかわいいと思うんだけど、KDE のデフォルトテーマが、全 Window の横っちょにカメレオンの顔がくっつくオリジナルなものなのはちょっと鬱陶しいと思うゾ。

ハッブル壁紙集

K.Moriyama さんとこやひびきさんとこより。綺麗ですねぇ…。

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