bird「オウエンのために祈りを」, 「世界を肯定する哲学」

「オウエンのために祈りを」

オウエンのために祈りを (上)    John Irving collection 1989-1998 オウエンのために祈りを (下)    John Irving collection 1989-1998 とても小さな身体、宇宙人のような (常に叫んでいるような?) 声、あらゆる点でとてもユニークな「ぼく」の友達、オウエンをめぐる、神様と運命と信仰のお話。ジョン・アーヴィングさんの本です。映画「サイモン・バーチ」の原作なのだそう。アーヴィングさんの本はとても人気があるためか、かなりの高確率で映画化されていますね。

とても面白かった。でも、僕の中でまだ言葉としてうまくまとまっていなくて、感想が書けません (というか書きたくない)。いつか、そのうち書けるかもしれないし、漫然とした心の糧として降り積もる経験の一つとなるでしょう。

「世界を肯定する哲学」

世界を肯定する哲学 保坂和志さんによる、「存在すること (「ある」ということ)」を考えた哲学の本。

アマゾンのレビューに、「これはポジティブ・シンキングに関する本ではありません」なんて書いてあって笑ってしまったんですけど、話全体の方向性が「文学」方向ではなくて「哲学」方向に向かっているだけで、中身はいつも保坂さんが考えられていることそのものです1

少しだけ思いついたことを。保坂さんがこの本で書かれている「言語に先立つ肉体」というもののイメージが、僕には先日読みかけたカントの「プロレゴメナ」で語られている人にとってア・プリオリな認識、というものと同義なんじゃないかなぁ…なんて思いました。保坂さん自身はカントが「ア・プリオリ」としているものには納得していないんだそうですけどね。

本書全体の主張に関して、僕はかなり共感しました。先日書いた「未来予測」に関する議論と同質のものだと感じます。保坂さんの議論の進め方は、とても「理路整然」とは言えませんが、どの言葉も地に足がついた感じがして、すっと頭に入ってくるように思います。数学的な直感力にはつながらないかもしれないけど、この世界で生きていくにあたっては重要な部分での直感力の糧になる感じ。

birdズッキーニ

ズッキーニ

あゆみさんが生協でズッキーニを頼んだら、まるでヘチマのような超巨大ズッキーニが届いてびっくり。
さすがにそんなに大きいと皮が固いとか中身がスカスカだったりするのかなぁ…と思ってたんですが、これが意外にも普通においしかった。ズッキーニはでっかくてもおいしいんですね。

birdおーい

おーい

今 OCN 方面から、同時2〜3コネクションでディレイなし、という設定でこのサイトのリンクを全て GET している方がいてちょっと鬱1。生活 PC で Web サービスしてるとこういう時辛いよなぁ。とはいえ声高に非難する気はなし。我慢出来なくなったら apache の帯域制御モジュール入れればいいし。
…あ、終わった。やれやれ。

bird表彰台おめでとう!

表彰台おめでとう!

昨日の F1 アメリカ GP で、とうとう琢磨が3位入賞、表彰台ゲットを果たしました。パチパチパチパチ。
オープニングラップから4台が消えるという波乱含みの展開で1、途中アロンソ、ラルフの大事故があったりとどうなることかとひやひやしながら見ていましたが、今回は琢磨に運が向いてくれたよう。マシントラブルも今回はバトンの方に出ちゃいましたね。
でもまぁセーフティカー時のピット作戦をもう少しうまくやっていたらもっとフェラーリを追い詰めることも出来たんじゃないかと思いますし (レースペースは終止琢磨の方がよかったわけで)、琢磨もドライバーとして、BAR もチームとしてもっともっと精進しないとね。ミハエル&フェラーリという追いかける対象がいる、ってのはよいことですね。
それにしてもミハエルのイエローフラッグ期間中の追い越し問題は結局どうなったんだろ?

bird未来予測

未来予測

matz さん1の日記に、PC Watch の山田祥平さんの連載「Re:config.sys」からの下記の引用がありました。

今から500年前の中世ヨーロッパにでかけていって、グーテンベルグが発明した印刷術を評価することを依頼されたとしよう。たぶん、われわれは自信を持って、印刷術は普及しないと断定するにちがいない。その理由は次のようになる。第一に、印刷はきわめて高価であるから写学生の筆写に価格面で太刀打ちできない。第二に、ほとんどの人が読み書きを知らないのだから、複製を大量に必要とする市場がない。第三に、一五世紀当時は、本当に重要な問題は宗教に限られており、個人のプライベートな内面の思想の問題であったため、これは印刷物によって伝達できる内容ではない。それ故に、印刷術は絶対に普及しない。普通の観察力と判断力を持つ人ならば、かならずやそう断言したであろう。

鶴岡雄二翻訳/浜野保樹監修「アラン・ケイ」(アスキー、1992年)より引用

ちょっと前には「すぐに未来予測ができるようになる62の法則」なんて本について友人と話したり、つい最近元同僚の先輩から、ソニー CEO の出井さんが以前に書いた本について「出井さんですら5年後の未来も予測できていない」なんて話をされるたび、僕はどうもこの「未来予測」という概念に引っかかってしまうのです。

「未来予測」という言葉に僕は、どうも古典的自然科学の持つ「未来は演繹出来る」というような世界観を感じてしまうんですよね。冒頭に上げた matz さんの日記でも「半端な知識は未来を予測するのに役に立たない」なんて書かれていて、あたかも十分な知識を与えられれば未来は予測できる、と考えてられているかのようです。

僕は「一つの方程式で世界の全てを記述できる」なんてもう考えられないし、必要な要素を漏らさず分析すれば未来を正確に予測できる、なんてとても考えられません。「世界」そのもの、と比較すれば極めて限定的でパラメータも少ない天気予報ですらまともに出来ないんですよ。未来なんて予測できるはずがない。

でも昔から、「物事を先の先まで見通している人だ」とか「彼の言うことに間違いはない」というようなことはよく言われているわけですけれども、僕はこれらの言葉が示す概念というものが、いわゆる「未来予測」とはまったく違うものだと思うんです。

先を見通せるように見える人というのは、膨大な知識を元に分析的に未来を予測しているのではなく、もっと総合的に行く末を感じているのではないかと思うんですよね。matz さんの日記でも触れられているアラン・ケイの有名な、

The best way to predict the future is to invent it.
(未来を予測する最良の方法は、それを発明してしまうことだ)

という言葉も、「未来を予測する」という方向ではなく、「モノを発明する (ことによって世界を変える)」方向にモチベーションを振り向けよう、というようなメッセージを感じます。数学的な超時間的 (無時間的) な世界認識を捨て、もっと漸進的に身体の周りの世界に働きかけ未来を生みだしていこう、という感覚。先を見通せるように見える人は、別に本当に未来が見えているわけではなく、その時点での世界を総合的に感覚し、自分自身の感性と正直に向き合って、「正しい」と思える方向がどちらかを認識出来る人のことではないでしょうか。

birdビル・アトキンソンさん, 新型 PSX 登場

ビル・アトキンソンさん

ちょっと古い記事ですけど、本当にかっこいいですね、この方。自分の本のためにいろいろ作ってしまうあたりはちょっと Donald E,Knuth 先生を思い出したりしました1
初期の Mac や HyperCard 自体には僕はそれほど触れる機会がなかった (のでインスパイアされた経験もない) のですが、未だこうしてメディアで取り上げられるほど影響力があった、というのもなんだか納得しちゃいます。
そういえば GeneralMagic というと Sony の「MagicLink」なんてマシンもありましたが、かつて一度だけこれに触ったことあるんですよね。当時 Sony から来ていっしょに働いていた人が昔開発にかかわっていたそうで、一台所有されていたのです2。残念ながらその印象はほとんど忘れてしまっているのですが。

新型 PSX 登場

初代の発売から半年ちょっとで新型ですね。でもハードはまったく同じモノっぽい3。幸いなことに、我が家の初代機も 7/15 のアップグレードで新型とまったく同じ機能が使えるようになるようです。

今回の機能アップの目玉は、

DVD ダビング時にタイトル4が付けられるようになった
単純にタイトルが入れられるようになったのは嬉しいんですが、これまでタイトルなしで焼いちゃった DVD はどうしよう、とか、これからはサムネイルもちゃんとセットしとかなきゃいけないんだなぁ、とか面倒な点も。いっそ今まで通り無しも選べるのかな?
トランスコード出来るようになった
録画時のモード (HQ とか SP とか) と独立してダビング時のモードを設定できるようになるようです。つまり HQ でとったビデオを SP や LP に再エンコードしながらのダビングが出来る、と。さすがにスゴ録のような疑似2パスエンコード機能はないようですが、トランスコード出来るだけでも十分です。今まで通りの無劣化ダビングも当然選べるのだろうし5。分割ダビングが出来ないスゴ録を一気に追い抜いちゃいましたね(…というのは言いすぎか。あちらには2パスエンコード以外にも DVD から HDD へのダビングとか DVD への直接録画とか出来ますからね)。
チャプターが打てるようになった
これまでは編集でカットした部分にのみ暗黙にチャプターが設定される、という仕様でしたが、明示的にチャプターが打てるようになる模様。だらだら長いホームビデオを DVD に焼く時などに便利だなぁ。
BB Navi にようやく対応
ようやっと BB Navi に対応するのですね。「ダウンロードコンテンツには対応しない」ってのが微妙にわけわからない。

その他、-RW/+RW に追記出来るようになってたりとか UI のデザイン変更、細かいバグ修正などかなり大がかりな更新になるようですね。PSX のアップグレードもこれで一段落かなー。結局、当初「あればいいな」と思っていた機能のほとんどは無償で追加されてしまいました5。逆に、発売から8ヶ月にしてようやく PSX 完成、とも言えるわけで、本当はあまり褒められたものじゃないよなぁ(^^;。

birdGoogle 落ちてる?, 弱り気味

Google 落ちてる?

なんだかさっきからアクセス出来ないんだけど…。他のサイトは大丈夫なのに。

弱り気味

ちょっと心が弱り気味な今日このごろ。はぁ…。僕としては精一杯やっているつもりなんだけど、限りなく自分が無能力者であるような気がしてくる。

birdその後の LUMIX

その後の LUMIX

買ってから一月ちょっと経ちました「LUMIX DMC-FX1」、いろんなコンディションでぱしゃぱしゃ撮りまくった際の感想をばここらでまとめてみたいと思います。主に G1 との比較になってしまうと思いますがあしからず。

ノイズについては噂通り
これはもう言わずもがなかもしれませんね。興味深いのは、他のカメラのように光量が不足気味の時に目立つだけではなくて、晴天下のようなコンディションであっても、影になる部分にかなりノイズが乗ってくることです。ある程度以上の明るさを持つ領域ではあまり気にならないことから、中間調以下で急速に S/N が悪くなるような要因がどこかにあるのかもしれません1。キヤノン機のような徹底的にノイズを抑え込んだカメラを使い慣れた人にはかなり違和感があるかも。ただもちろん、ディスプレイ上で原寸以上に拡大してみたときに気になるだけであって、縮小したり印刷したりする場合はほとんど問題ないと思います。
AF 速度は良、ただし…
巷のレビューではなかなか知ることが出来ない AF 性能についてですけれども、速度自体は G1 と大差ないと思います。若干 G1 の方が早いかな、という程度。一旦迷い出すとかなり長いこと迷ってますが(笑、これは G1 も同じでしたからね。動作的には昔ながらの、フォーカスレンジを一度フルスキャンしてコントラスト最大のポイントに戻ってくる、といったイメージです2。問題点としては、望遠側で AF にミスることが多いような。「ピピッ」という合焦音がなったことを確認してからシャッターを切っても、結構な確率でピンぼけ写真が入っています。
迷う AE
AE についても、とんでもなく大外しすることはないのですが、ほとんど同じコンディションで撮った写真の露出が結構違うことがあって、迷い多き AE なことが伺えます(笑。このへんは G1 の安定度と比較するとまだまだな部分。ただこの手のコンパクトカメラにしては露出調整がやりやすいので、いちいちちゃんと確認→場合によっては調整してあげれば問題ないと思います (僕はめんどくさいのでとりあえずたくさん撮っておくだけ・笑)。
コントラストが高い
G1 をコントラスト低、シャープネス低で使っていたせいか、FX1 のはっきり、くっきりした写真には最初戸惑いました。中間調の落ち込みが急で、全体にコントラストが強調された画面になるんですよね。FX1 側の設定では一番穏やかな「ナチュラル」設定にしているのですが、それでも G1 (一番ネムイ設定・笑) に比べるとコントラストが高いです。でも紙に印刷する場合は FX1 くらいがちょうどいいみたい。
JPEG 圧縮率が高い
G1 でも常に最高画素数、最低圧縮率で使っていたので、FX1 でも同様の設定で利用しているのですが、圧縮率最低にしても G1 のそれよりも高圧縮です。G1 では 128Mbytes CF に 70 枚くらいの撮影枚数だったのが、FX1 では 256Mbytes SD に 180 枚も撮れます(笑。圧縮率が高い、といっても、僕には画質的な違いはほとんど分かりませんから、ほぼ丸一日撮りまくっても SD がいっぱいにならない安心感の方がありがたいです。
電池は意外にもつ
公称では 100 枚撮影分しか持たないことになっている電池ですけれども、いくら撮っても電池が減ったところを見たことがない G1 との比較ならいざしらず(笑、普通にフラッシュなしで撮影している分には丸一日余裕で持ちます。撮る直前に電源を入れて何枚か撮ったらすぐ切る、という僕のスタイルだと、180 枚フルに撮っても電池アイコンが一つ欠ける程度でした。ちなみに、電源スイッチの操作感も良く起動も早い FX1 ではこういったスタイルでもまったくストレスはありません。G1 の場合電源スイッチがいまいち回しづらい&起動が遅いので、ついつい電源は入れっぱなしにしがちでした (が、G1 にはそれでも全然 OK な大容量電池があったので無問題・笑)。そうそう、何故かフラッシュの充電時間はかなり遅いです。G1 ではそもそも待たされた記憶がないんですけど (メモリ書き込み待ちの方が支配的だったような)、FX1 でフラッシュ撮影すると結構待たされ感があります。

そんなわけで今のところの僕のまとめ。小さく軽く起動も早い FX1 は、お出かけスナップカメラとしては大変使いやすいです。パナ画質に抵抗がなく、比較的安く買える店を発見したなら、結構お薦め、かも。

birdMac が欲しい

Mac が欲しい

なぜか、や、本当に突然なぜか Mac が欲しくなってしまいました1
そう考えてみると確かに、今の Mac OS X はほとんど Unix だし、綺麗なフォントも入っているし、マルチメディアにも強いし、(少なくとも Linux よりは) メジャーだし、と、これまでまったく興味を持ってなかった方がおかしいわけなんですが…。
これも僕が年を取ってきて、自分で頑張って (時には自分でアプリケーションを作ったりして) 自分好みの道具 (PC) を作る、という発想から、労力をかけずに済むところはかけないで良い道具を選ぶのも一興、という風に考え方が変わってきた、ってことなのかなぁ。これも一種のスノビズムなのだろーか。
ところで僕が買うとすれば当然 iBook か PowerBook になるんだと思いますが (まだしばらくは買いませんよ!)、今の iBook と PowerBook って、スペック的にはほとんど差がないように思うんですけど、それにしては価格差がありすぎるような。あの価格差は主に何に由来しているんでしょう?
iBook 安くていいっすね…。

bird「アウトブリード」, 「ラスト・サムライ」

「アウトブリード」

アウトブリード これまで、何冊か保坂さんの本を読んできましたが1、小説以外の本を読むのは初めてでした。この本は保坂さんがいろいろなところに発表した書評や、友人との書簡、その他を集めた「エッセイ集」ということになっています。

保坂さんの小説は、たいてい保坂さんを連想させる小説家が主人公だったり、登場人物が本当にいそうな人ばかりだったりして2、僕はてっきり、保坂さん自身が小説の登場人物のような人で、日常の思考の延長線上で小説を書いているんだと、つまり彼自身と小説の主人公はかなり近い人物なのだと思い込んでいました。

確かに、彼が日頃考えていることを小説として書いていることは間違いないのですが、しかし彼は無自覚に自分の流儀で話を紡いでいるのではなく、とても自覚的に、小説として登場人物たちにいろいろなことを考えたり話させたりしているのだと、この本を読んで初めて知りました。

ところで、「カンバセイション・ピース」でも「愛っていうのは、(中略) 偶然が絶対化することなんだよ」なんてセリフがありましたが、この本 (「アウトブリード」) でもとても重要な人として描かれている「樫村晴香」という哲学者の人が、保坂さんの中学生の時の同級生だ、という後書きを読んで、なんだかすごく首尾一貫した感じを受けました。

僕達はなんとなく、偉大な哲学者や小説家が僕等とは比較にならないような情報源や人脈を持っているかのように、そうでなくてはあれほど普遍的に価値を持つ文章を書くことが出来ないかのように考えてしまいがちですが3、全然そんなのは間違いだった。保坂さんの文章に普遍性を感じるなら、それは実は単純に彼が人間であるがゆえに生み出し得る普遍性なのだなぁと。

そういえば保坂さんもカントの「純粋理性批判」を読んで途中で興味を失っている、と書かれていてちょっと面白かった。その理由というのが、「カントがア・プリオリだと言っていることに納得できなかった」から、だそうなんですけれども、僕もちょうど同じことを「プロレゴメナ」を読んでいる時に感じたのですね。「プロレゴメナ」を半分読んだところでの僕なりの理解で言うと、カントが「ア・プリオリ」だと書いていることは、どうも身体的な認識の形式のことのようなんですね。人間の身体的構造に伴う感覚信号のフォーマット、というか。カントの時代にはそれってほとんど絶対的なものだったのかもしれませんが、さまざまな道具で感覚や認識を拡大しつづけている現在に生きる僕等にとって、感覚信号のフォーマットが世界認識に対してそれほど絶対的なものだとは思えなくなっていると思ったのです。

それにしてもいつものことながら、本屋の店長のお薦めはとても適切だなぁ。確かに、保坂さんの感性には近しいものを感じるというか、すごく共感する部分があります。

「ラスト・サムライ」

ラスト・サムライ SAK が「激萌えだから見れ」と貸してくれました。

それで感想ですが、うーん、それなりには面白かったけど、僕的には「激萌え」というほどではなかったなぁ。SAK は群集合戦シーンが大好きなんだよね。「トロイ」も絶賛していたし。

僕があんまり楽しめなかった理由は、(僕が日本人のせいか) 風景の描写があまりに嘘臭く感じてしまったことかな。勝元の村もなんだか LOTR のホビット庄みたいだし、横浜の街のスケール感も変。合戦シーンもまるでゴルフ場で戦っているようで、あんまり「日本」らしくなかったと思う。その辺の違和感が最後まで引っかかってのめり込めなかった、ってところかなぁ…。

しかーし!来週のデカレンジャーはどうもこの「ラスト・サムライ」のパロディの予感!そういう意味でこのタイミングで予習させてくれた SAK には深く感謝しておりまする。どーもありがとう!

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