birdWeekly ASCII on Internet

Weekly ASCII on Internet

今朝、歯を磨きながら朝の日課であるニュースサイト巡りをしていた時にふと、Google 先生で「Weekly ASCII on Internet」について検索してみました。元 A 編1編集長遠藤さんの「インターネット考古学」なる記事をふむふむなんて言いながら読んだ後、さらに他のヒットしたページを見ていてびっくり!「Weekly ASCII on Internet」の開始を伝えるニュース記事の写真に、僕が写っているじゃないですか。今日の今日まで全然気がつかなかったよ(;´Д`)。
昔、少しだけ A 編でアルバイトをしていたことがありました2。その時にちょうど、この「Weekly ASCII on Internet」の立ち上げに関われたのでした。A 編デスク (アレ?副編でしたっけ?) だった綾丸さんを中心に、編集系は確か4人くらいで立ち上げたんだったと思う。当時は Windows95 の発売直前、まさに Internet のブレイク前夜、という状況で、上の遠藤さんのページによれば asahi.com もまだ始まっていなかったころ。そもそも net に繋ぐだけでも大変で、Netscape は出始めていたけれど、まだ日本語が通らなかったので皆仕方なしに Mosaic を使っていたりしました。今でもはっきり覚えているのは、当時最新のブラウザでは日本語が通らないことが多く、それに業を煮やしたどこかの人が、ページ中の日本語部分を全てイメージに置き換える (つまり日本語は文字としてではなくイメージとして表示するよう置換する) proxy サーバを作ってくれたりしたんですよね。サーバで全ての文字をレンダリングして転送するのですっごい重たいんですが、日本語表示出来ないブラウザでもぱらぱらと漢字、ひらがなが表示されていくその様は当時なかなか感動的でした。
僕のヤクドコロと言えば、当時大学の情報処理センターでもアルバイトをしていて、Internet にも既にそれなりに関わりがあり、かつ Unix 環境に慣れていてサーバも立てたことがある、ということから、編集用の内部サーバの構築、運用、それからもちろん、実際の記事書きといったところ。何しろ、記事を書く人間はたった4人 (そのうち一人は僕よりも純粋なエンジニアで記事を書かなかったので、実質3人、さらに綾丸さんは実際に記事を書いている時間がなかったのでほぼ2人) でしたから。オープン前後の締め切り間際はいつもすごく忙しくて、3徹、4徹は当たり前だったなぁ。
上の写真はたぶん、どこかのコンベンションに出展した時に、説明員として立った時のものだったと思います。具体的なことはもうすっかり忘れてしまっているけれど、遠藤さんと一緒にアジャンタに行ったこと、今も ASCII にいらっしゃる西村さんと地下のテストルームでだべった3こと、取材のために行った「おもちゃショウ」はとても大変だったこと、綾丸さんに誘われて人生最初 (でたぶん最後) の隅田川花火大会に行って死にそうになったこと、などは未だに忘れられない思い出です。

コメント

世・妹 (Mon, 23 Jan 2006 12:25:03)
鼻ほじってるーーー!!(笑。>や、違うけど。
Digitune (Wed, 25 Jan 2006 01:23:23)
鼻ほじってねーーー!!!>世・妹
それにしても、や、若いなぁ、と思う反面、ぜんぜん変わってないなぁ、とも。ちっとは成長したいものだよ。

  1. 月刊アスキー編集部のこと。 ↩︎

  2. 後日、月刊アスキー本誌上で「播磨」さんとして大活躍する…うーん名前が思い出せんっ!…さんと同期でした。 ↩︎

  3. なんとなしにずっと話す、という意味だけど、通じるよね? ↩︎