bird「ビラヴド」, 読書の時間, こないだのデカレンジャー, 日曜に

「ビラヴド」

ビラヴド トニ・モリスン著。南北戦争前後のアメリカにおける、黒人奴隷の「自由」や「自身」を取り戻すための苦悩の日々を描いたお話。あゆみさんに借りた本。

この本では、当時のアメリカにおける黒人奴隷の境遇が、当事者の視点で切々と語られています。読むのがつらいくらいのその告白を読みつづけている間に僕が感じたのは、絶望的な「共感の欠如」でした。白人の『先生』は、単なる家畜と同じように奴隷を扱います。そこに悪意があるわけではなく、奴隷というものが他の家畜と同じ、農場主にとっての資産に過ぎないと思っているだけなんですね。出産可能な年齢の女奴隷は資産を増やしてくれる可能性があるから大切、まだ若い子供奴隷を売って大人の奴隷を二人買おう、女奴隷に子供を生ませるために若い男奴隷とまぐわせよう、エトセトラ、エトセトラ…。『先生』が来る前に農場を所有していたガーナーさんにしても、「同じ人間である」というレベルでは共感を持ちつつ、しかし奴隷という立場への共感は持ち得ませんでした。

一方の黒人の側でも、共感し得ない白人による扱いを受け続けたゆえ、自由州において黒人の権利獲得に尽力している白人に対してすら、彼らの考えていることなど分かるわけがない、とあきらめてしまっています。

本を読みながら僕は、ガンジーさんが菜食主義者だったことを思い出しました。それはもちろん、彼がヒンズー教徒であったことと深い関係があるのでしょうが、彼の持っていた「共感の力」とも関係しているのではないだろうか、と思いました。ガンジーさんが大衆から圧倒的な支持をうけた理由として、大衆と同じ服を着、大衆と同じものを食べて、歩いて大衆の元へ赴き、大衆に対して共感出来る言葉で語りかけることが出来たからだ、と書いてありましたが、ガンジーさんのサッティヤーグラハも、原理的にはその、人間の持つ「共感の力」を用いたものと言えるのではないでしょうか。

人は、共感を感じないものに対してはどこまでも残酷になれるようです。しかし逆に、「共感の力」はアメリカで奴隷制度を廃止させました。他者への共感を拒否する人間はまた、他者に共感されることもなくなってしまう、ということを、いとも簡単に人を殺すことの出来る人達には考えて欲しいです。

読書の時間

総計三時間にもなる行き帰りの電車で本を読んでいればそりゃたくさん読めますがな>うさ。薄い文庫本なんかだと一往復で読み終わっちゃうんですよね。だから最近は厚い本が好き。厚すぎると腕が筋肉痛になっちゃうのが難点。「虚数の情緒」は大変だった…。
森博嗣は犀川&萌の最初の三巻だけ読みました。その野暮ったさが結構ツボなので、そのうちまた続きを読むかも。

こないだのデカレンジャー

「ウメコ、俺じゃない」
わはははははははは。あいかわらず最高っす。今回はかなりお色気過多だったなー。父親向けなんでしょーか?

日曜に

家族でお出かけ。駅を歩いているとあゆみさんが恥ずかしそうにしている。
「どしたの?」
と聞いてみたところ、
すっぱいお口をした Suica ペンギンのポスター1を見て、思わず同じ顔をしちゃったところを、ちょうどすれ違った人にばっちり見られちゃって恥ずかしかった」
とのこと。わはは。あるある、そういうこと。

コメント

かぴさん (Fri, 19 Mar 2004 22:12:09)
アパルトヘイトを共感力で片付けるのはなんちうか綺麗事チックに感ずる感じを感じたね。かぷぃさんは。
俺にしても誰にしても激しく共感できないドメインてのはやはりあるわけで、だからといってそれらを殺傷したり奴隷扱いしたりとかはまづしない。
法規制のためもあるかもしれないが、「それやっちゃいかんよ」つー空気や雰囲気が内的、外的に形成されているところが大きいのだろう。
逆を言えば、法規制や規制的雰囲気が形成されていないドメインに関しては内的にも外的にも咎められないが故に先天的に弱い連中の欲求のはけ口として利用される可能性がでかくなる。
モラルというものが自己組織化で生じ得るというのは既に周知の事実であるが、これは全体としてこのようにした方が高効率的であることの結果であり、感覚的に強くモラリティな人々というのは遺伝か何かでこういうのを体得してるんでしょーな。
差別や戦争もろもろ、数多くの間違いを経なければ正解に辿り付けない業の深さとでもいうべきか。
Digitune (Fri, 19 Mar 2004 23:30:26)
なんだろね、俺も含めて大多数の人はかぴさんの言う通りなんだと思うんだけどね、しかるにそういう雰囲気 (法規制も含め) を生み出す魁となる人達、ってのはセンシティブ、っつーか共感力豊富な方々なんだと思うわけさ。
本人の努力次第、とゆー状況では、ボリューム的に少ないドメインは未来永劫はけ口となり続けてしまうような、どっちかっつーと静的な世界になりがちなわけだが、「共感」効果でそのドメインの感じ方、考え方が染み出していくがゆえに、ダイナミックな価値感の転換が起こりうるのではなかろうか。
Digitune (Fri, 19 Mar 2004 23:41:08)
結局のところ、俺の視点が感覚的な部分に向いている、ってことなんだと思う。事実として、というか論理としてどうなっているのかよりも、どういう感覚でどうなっているのかの方に興味がある。人々の、モチベートされた結果の行動ではなくて、モチベートさせているものは何か、というか。
そういうのを「綺麗事」って言うのかな?なんとなく違うようにも思うんだけど…。
かぴさん (Sat, 20 Mar 2004 15:34:46)
「共感」をどの程度に解釈するのかにもよるわな。綺麗事チック云々というのは、共感てのは必ずしも善ではないから。無垢であるが故の予定調和的綺麗さというか。
アパルトヘイトみたいな強力な負の行動ってのは「何かが足りなかったから」というよりも「奇妙な行動意欲に駆られて」行われているように思われるんだよね。負の群集心理、負の共感というやつ。「みんなー!アパルトヘイトしよーぜー!」「おー!」みたいな体育会系なノリがあったんじゃねーかと。そういうことでは悪の団結に対抗するには正義の団結(共感)が必要というのはそうなんだがね。
というわけで、ただ共感すればいいというものじゃなくて善悪の判断のもとに共感を肯定すべきものと拒否すべきものとを見分けていくことの方が精神レベルでは大事だと思われる。つまり、ちゃんと判断しろと。
最初から判断できる人もいるだろーけど、大衆がちゃんと判断できるようになってゆくにはある程度経験に学ぶ必要があるんだろう。大衆が薄々持っていたくすぶった気持ちをはっきり代弁するガンジーみたいなカリスマも必要なんだろう。
Digitune (Sun, 21 Mar 2004 01:56:45)
うん、かぴの言うことも分かるな。例えばメディアという「共感アンプ」を通した時のディストーションによる問題とかあるよね。

とはいえ、「欠如」に関する問題は、その問題とは独立に考えられるんじゃないかと思うんだよね。歪んだ共感に何でも乗ってしまうおバカさんも困るけど、まだ「共感」方向にベクトルが向いているだけ救いようがある (かぴのいうように経験を積んでちゃんと判断しろと)、というか。共感に無自覚、無頓着な人達、ってのが一番始末に負えないんじゃなかろうか。
かぴさん (Sun, 21 Mar 2004 12:56:12)
わざと簡単に「経験に学ぶ必要がある」という言葉を使ってみたわけだけども、この経験に学ぶというのは差別や戦争などいくつもの残酷なエラーを経て学ぶという意味も入っておる。毒を毒と判断できたのも人柱があったわけで。
あと、世界大戦やアパルトヘイトみたいなふつーの動物ではあり得ないレベルの大々的ハザードも強大な負の団結があったればこそで、そもそも負の共感がなければもっとこじんまりとした問題に収まっていたろうと思われる。最大最悪の人災の元凶である「歪んだ共感に乗ってしまうおバカさん」をあまり軽く見るのはどうかと。
日なたがあれば日陰もできるのさ。
Digitune (Sun, 21 Mar 2004 23:22:33)
俺的には、「負の共感」とかぴの言っていることよりも、それによりもたらされる (こともある) バカの壁、つまり「共感の欠如」の方を問題にしたい、ってことなんだけど。今の時代、感じ方や考え方に何らかの偏向やバイアスがかかることは免れないとすれば、個人が出来る最大限の努力は、自分の感覚を研ぎ澄まして、些細な声、つまり小さな「共感」も出来る限り拾い上げようとすることなんじゃないだろうか。

ちなみに、「負の共感」なんてものがなくても大虐殺が起こりうることは自然界を見ていれば明らかだと思うが (ほんの少しパワーバランスが崩れただけで絶滅寸前まで追い詰められることも多々あるでしょ)。「共感」って、強大な力を持った人類が、自己崩壊に陥らないための力の一つだと思うんだよね。そして、その力が強まれば強まるほど、「共感」の範囲も広げていかざるを得ないと思うんだ。昔は村民同士程度で良かったものを、国民レベル、世界民レベル、そして全ての生命に向けて、と。
かぴさん (Mon, 22 Mar 2004 01:11:44)
>「共感の欠如」の方を問題にしたい

まあ一応つっこみ欄だから。俺としては「共感」とやらがなかったぐらいのことで差別や犯罪起こされるような世の中じゃしょーもないなと思ったんでね。「相手に共感する」「思いやりを持つ」「相手の立場に立って考える」とかできるに越したこたーないが、出来てないからと言って平気で一線を越えてしまうのが多いようだと法治国家も何もないわけで。

人間社会みたいな複雑なもんは共感みたいなものだけじゃどうしようもないんじゃないの?という感じもある。カルト宗教みたいな共感じゃマズいし。むしろそういう善にも悪にも転びがちな頼りないものに頼るよりは、ちゃんと教育して法規制なりした方が現実的っぽいとおもーがね。新幹線で大声出しまくる子供の親もろくな叱り方ができてないし。コモンセンスを身に着けさせれと。

>「負の共感」なんてものがなくても大虐殺が起こりうる
> ことは自然界を見ていれば明らかだと思うが

んじゃー動物とかにも負の共感があるってことでいーや。パワーバランスの崩れに見えるような現象があっても、巨視的に見れば自然界はそういうんでバランスを保ってる。DNAに刷り込まれた行動原理で生きてる以上、人類も例外じゃーないんだろーな。
Digitune (Thu, 25 Mar 2004 01:13:48)
法治国家、を言葉どおりに脳味噌だけで捉えて、「法で禁じられていないことなら何やってもいい」とみんなが考え始めると実は今の社会は崩壊するんだよね。「法治国家」なのであれば、問題があれば厳密に論理的に法律的に脳味噌で解決すべき、というのも、システム的には正しい意見だが、ではその法は何に依っているのか、を極めて一般的に言えば、「より多くの人の共感を得られるであろう決まり」ということになるだろう。「コモンセンスを身に着けさせれと。」というまさにコモンセンスこそ、共感の最たるものじゃないかい?

「『共感』とやらがなかったぐらいのことで差別や犯罪おこされるような世の中じゃしゃーない」から、必要悪として法律、なんていう強制力が生まれたんであって、前後を逆に見てはいかんと思うぞな。原始共生社会では法律なんざなくとも社会は回ってたんだよ。それは皆が共感可能だったから (それくらい世界が狭かったから) でしょう。

つまり法治国家において共感の欠如した行動は一般に犯罪と呼ばれるのであって、それは国家規模であっても本質的には変わらない。戦時中は当たり前のように欠如を容認していた人々も、冷静になれば逆にそれを当たり前のように「国家の犯罪」として認識したりしている。

> んじゃー動物とかにも負の共感があるってことでいーや。

根拠はないんだが、動物には人が持つような「共感」はない or 極めて弱いんじゃないかね。「マトリックス」でエージェント・スミスが人間をガン細胞に準えて、「それがたとえ自滅の道だとしても限りなく拡大していこうとする存在」と言っていたが、動物が持つ本能による枷を持たないがゆえに、意識レベルにおける共感を発達させてきた、そうしないと早々に自滅してしまうことになったであろうから、とは言えないだろうか。
かぴさん (Tue, 06 Apr 2004 22:19:12)
> 必要悪として法律、なんていう強制力が生まれた

もしレスがあるならそうくるだろうというのは既に織り込み済みなのだ。コモンセンスは共感とも訳せるが、日本語的に近いのは「常識」の方。今の常識が共感の元にできたというのはある種そうかもしれないが、そうでないところもある。特にちみのいう共感力の意味合いがマイノリティの意見も拾うとかいうんだとするとまるで違う。有史以来経験に学んで結果として共感になり、常識となったと考えるべきだろーな。今はもう十分学べてるんであとはちゃんと教育しとけと。

学べてなかった時代は世界大戦なり差別政策なりがいわば共感の産物だったわけだよ。これは既に指摘済み。いいところばかりじゃない。悪いところばかりでもバランスが崩れると。

ちなみに法治国家でも暴動を始めとする巨大モラルハザードや犯罪組織等は厳然としてあるわけで、それらもローカルな共感があってのことだよ。「それはグローバルな共感を感じ取れないから」とか言うんであろーけども、周りが悪党ばっかで共感力が高ければ必然的にそいつも悪になるよ。本人の置かれている環境がそいつの感じ取れている世界なんだから。そこから脱するにはロジックで考えるしかない。ちゃんと判断しろと。「それはおかしい」というムジュンに気づけと。意義あり!と。

> 動物には人が持つような「共感」はない

ドーブツの方が本能的な共感が強いんじゃねーかという気がしてならないんだが。言葉ないから。言葉がないところで共感もなかったら群れて生活するなど無理じゃん。蟻なんかすげーシステマチックな社会作ってるし。
Digitune (Tue, 06 Apr 2004 22:54:57)
ロジックで考えること、を否定してるつもりはないんだがな。どっちかっつーと、「法治国家、を言葉どおりに脳味噌だけで捉えて、「法で禁じられていないことなら何やってもいい」とみんなが考え始めると実は今の社会は崩壊するんだよね。」という部分をこそ強調したい。

かぴの言う、「法治国家でも暴動を始めとする巨大モラルハザードや犯罪組織等は厳然としてあるわけで、それらもローカルな共感があってのことだよ。」という意味が実はよく分からない。犯罪組織員は組織員同士で共感しあってる、ってこと?

かぴの想定した反論の通りに思うわけだが、「周りが悪党ばっかで共感力が高ければ必然的にそいつも悪になるよ。」は条件設定がおかしくて、そもそも犯罪組織、ってのは特定の共感を遮断した状態にあるわけだから、そのような環境に置かれたら正常な共感を持てないのはある種当たり前なのではないか。トートロジーってやつ。

ドーブツに関しては根拠レスなんであんまり深く突っ込む気はないんだが、動物の群れや蟻の行動なんかは、いわゆる「共感」とは別次元のロジック、つまり遺伝レベルのそれで制御されてるのではないかなぁ。
かぴさん (Wed, 07 Apr 2004 01:12:04)
明日ゆうきう。

法治国家云々は法だけじゃなくて一般的な躾とか道徳込みね。教育やら環境やらで人間はずいぶん変わるもので、本人の共感力だけでどうこういうのは根本がちげーんじゃないかと。

ツネちょん言うところの「共感」というのはどうやら非常に狭い意味らしい。

・遺伝制御が絡んでると「共感」ではないらしい。本能的な価値判断が絡んでるとNG?
・マイノリティの意見でも拾うのが高い「共感」力。善悪判断が狂ってても共感力は高いでOK?
・最終的にうまいこといい方に導くのが「共感」で、そうでないのは「共感」ではないらしい。最終的にうまくいくとしても途中でひじょーにマズいことが起こるのはOK?

一般的な意味での共感てのは遮断すべきものとそうでないものとがあるのは明らかで、その判断の方が大事なんだよね。すべての方向に共感を開いたとしても、そこからどう判断するかは千差万別。どうせ自分というフィルタがバリバリ掛かってしまうし、ちゃんと判断できない、しようとしないやつには意味がない。

例えばガンジーさんは支配者の支配しようとする気持ちや被支配者の支配に甘んじる気持ちにはガンとして共感を遮断している。しっかりした判断と意思の強さを持っている。基本的に何か事を成そうと思ったら強い信念と行動力と判断力がないといけない。共感とは同じ道を歩む者を見つけたときに湧き上がるイモーションだ。

ガリレオが強力な反対にめげず地動説を唱え続けられたのは共感力のおかげだろうか?。ちげー。判断力と強い意志があったからだよ。重要なのは「選択」だ。共感が選択を生むんじゃない。選択が共感を生むんだよ。
かぴさん (Wed, 07 Apr 2004 01:20:08)
と思ったけど共感が選択を生むこともあるか。しかしそれも共感という刺激からそういう判断をしたからだよ。
Digitune (Wed, 07 Apr 2004 07:13:31)
> 教育やら環境やらで人間はずいぶん変わるもので、本人の共感力だけでどうこういうのは根本がちげーんじゃないかと。

最初から、正しい判断 (って何だ?) なるものに対して、「共感力」が必要十分条件だ、と言ったつもりはなくて、必要条件だろうと言いつづけてるつもりなわけです。

俺がイメージしてる「共感」は英語の「sympathy」に近い、「相手の感じていることを感じる」「相手の身になって考える」という感じ。「同情」と言った方が誤解がないのかな。だから、

・遺伝制御による共感、って概念はそもそもよく分からない。遺伝的に相手のことがよく分かるってどういうこと? (双子の synchronicity?)
・広い範囲の共感を拾うのが「高い共感力」というのはそうだと思う。さらにそもそも「同情」に先んじて善悪判断はない (同情の後に善悪判断が来る) のでそれも OK…かな。
・「共感」があるから最終的にうまいこと行く、とは言ったつもりはなくて、さっきも書いたけど「必要条件なんじゃないか」と思ってる、という話。

僕は、「遮断すべき共感」なるものはないんじゃないかと思う (ここは単なる主張です)。全てに「共感」した後、判断を下すことだって可能なんじゃない?「判断自体は千差万別」というのはまさにその通りで、だからこそ「特定の共感を遮断する」というマクロな操作はするべきじゃない、と僕は思うんだよね (逆の危険性、つまりメディアにアンプリファイされた特定の共感に基づく判断ももちろんマズイが、遮断よりは危なくないような気がしてる。なぜなら共感の量は共感の有無ほどには結果に差を生じないように思うから)。全てに共感した後、個々人が各々の価値感にしたがって判断した方がよいんじゃないかと思うわけだ。

ガンジーさんについていえば、支配者の気持ちや支配に甘んじてしまう気持ちについて共感を遮断しているわけじゃなくて、それらに共感した上で、彼自身にとって正しいと思われる判断を下していると思う。受け入れていないのは単に「支配者の論理」や「支配に甘んじてしまう人々の論理 (果ては西洋文明批判まで行き着く)」の方だよね。

結局、かぴの書いてくれた

> 共感という刺激からそういう判断をしたからだよ。

というのが僕の言いたいことをある程度表してくれていて、正しい判断をするためにはより広い共感が必要になるんじゃなかろうか、ということなんだけどね。
かぴさん (Wed, 07 Apr 2004 18:15:40)
守る対象が人の場合はシンパシーで説明することもできるけども、そうでない場合はどーなんだろ。結局「かわいそう」とかいう気持ちも自分の中のエゴの一つなんじゃないのか。という説は良く聞く話だな。

遺伝による共感てのはもともとドーブツや人間が持っている感覚に基づく共感だよ。こっちの共感の方がケースとしては多そうだが。

結局、ちみの言う「共感」とは「一般的に人間が持つべき情」のことだな。確かにそれを高いレベルで人類がキープ出来ていれば社会はある意味でうまく回るような気もする。ただそれは「サッカーで勝つためには取られた点以上に点を取れ」というようなアドバイスに近い。それができれば苦労しませんよティーチャーという感じ。

「遮断すべき共感はない」とは「情をかけなくてもいい対象はない」というとこかな。このほうが話は通り易い。確かに相手に対してまったく「無情」になってしまうのは危険だ。単に共感しないだけなら別に危険でもなんでもないけど。

つーことで、上記の仮定がOKならこの話はOKてことで。
かぴさん (Wed, 07 Apr 2004 18:24:02)
そーそー。
「人は共感できない対象にはどこまでも無情になる」とはツネちょんも最初に書いてるけど、考えや気持ちに共感できなくても情けは掛けられるよ。
Digitune (Wed, 07 Apr 2004 21:34:00)
> 結局「かわいそう」とかいう気持ちも自分の中のエゴの一つなんじゃないのか。という説は良く聞く話だな。

そうだね。でも僕はそれについては、単にエゴ、「似非共感」な場合も多いんじゃないかと思う。逆にそこで一足飛びに「結局人と人とは分かりあえない」という結論にいたってしまうのも愚かであって、「分かりあえる/分かりあえない」という状態は白黒ではなくて質的差異があるものだと思うんだよ。質の低いうちは「ほとんどエゴ」なこともあろう。だからこそそんな中で「よりよく分かりあうために」努力したい、と思ってる。

> 遺伝による共感てのはもともとドーブツや人間が持っている感覚に基づく共感だよ。

フェロモンによる「共感覚」とか言語による「理解」とかまで含んでるってことかな?だとすると (すでに分かってるだろうけど) 僕が考えていたイメージよりだいぶん広いなぁ。

> 結局、ちみの言う「共感」とは「一般的に人間が持つべき情」のことだな。

そういうことです。

> ただそれは「サッカーで勝つためには取られた点以上に点を取れ」というようなアドバイスに近い。

そうかなぁ。そんなに自明なモノだとは思えないんだけど…。

> それができれば苦労しませんよティーチャーという感じ。

苦労してそれを得ようぜ、と僕は思ってる。

> 「遮断すべき共感はない」とは「情をかけなくてもいい対象はない」というとこかな。このほうが話は通り易い。

そうですそうです。ご指摘ありがとう。

> 考えや気持ちに共感できなくても情けは掛けられるよ。

これは僕が使っていた「共感」が狭い意味だったから、ってことで OK?

そうすると「共感できない対象には無情になる」、ってのはトートロジーっぽくなっちゃうんだが、そこは「情けをかける、情を慮ること」の否定と「無情を働くこと」は必ずしもイコールではない、ということで。
かぴさん (Thu, 08 Apr 2004 21:48:44)
終わりかなーと思ったけど疑問文があるからには答えずにはおれないのだ。

> これは僕が使っていた「共感」が狭い意味だったから、って
> ことで OK?

狭いとゆーか、情と共感という言葉の持ってる意味は似てるようでモノが違う。というのを遠まわしに指摘してみた。共感するのに情は必ずしも必要ではないし、情を掛けるのに必ずしも共感は必要じゃない。ちみは言葉の使い方がユニークすぎるんだよ。

で、「情」「思いやり」をバリバリ持とうってのはご立派なことではあるのだけども、世の中にはツネちょんが話したことはおろか見たこともないだろう人間のクズが少なからずいる。法やモラルの壁があるのでかろうじて今のピンフが保てているという感じ。

そういうのは「思いやり」とかいうのの遥か手前のレベルでストップあるいは後退しているので、もはや拘留でもしておくしかない。つまり実刑。根本的に頭が悪いので話するだけ無駄。

「思いやりの心を広めよう」とかいうのは割と善良なレベルの人々の間でより快適社会を築くためのものであってバカには無意味なんだよ。

バカのバカ行動に巻き込まれそうになったらとりあえずスタンガンかまして逃げれ。いちいち情けなんか掛けてたら後悔するから。悪党ほど人の情けにつけこむわけで。
Digitune (Thu, 08 Apr 2004 23:30:22)
> ちみは言葉の使い方がユニークすぎるんだよ。

そうかい?共感を sympathy の意味でとらえることは結構多いと思うんだが (「とても共感しました」とか、「共感した若者が暴動」とかは激しく「情」の話だよな)。逆にフェロモンや理解を「共感」と一括りにすることの方が少ないような。ま、いいけど。

「バカには話が通じない」とか「情けをかけるとつけ込まれる」という考えたこそ、俺的には避けたい部分なんだがなぁ。そうすることでガンジーさんやキング牧師のように究極の不利益を与えられることもあるかもしれないけど、だからといって共感することを止めてしまっていいとは僕には思えない。もちろん、自分の見えている世界が狭いものだからこそ持ちうる考え方だ、という意見も理解できるよ。でも、いくら広くなったとしても、ガンジーさんのようにそう考えていたい、と思うんだよね。本当に出来るか、と言われれば全然自信ないけど、まぁこれは志の話なので…。目標は高い方がいいでしょ。

余談だけど、「つけ込まれる」とか「なめられる」という言葉って、なんだかすごく違和感があるんだよね。相手がつけ込むつもりだろうがなかろうが情けをかける側にとっては関係ないし、同じように相手になめてかかられようがどうしようが自分がやるべきことをやるだけでしょ。当たり前だけど、「つけこむ」も「なめてかかる」も相手の心持ちの話なんだよね。自分のなそうとしていることには基本的に関係ないし、共感は出来るけど普通は憐れみしか覚えないんじゃないだろうか。
かぴさん (Fri, 09 Apr 2004 22:31:33)
長くなってきたからこの話わゴールデンに持ち越しかな。

ちなみにフェロモンが共感の一種だとは俺はゆっていないぞ。

シンパシーには同情の意味も含まれるがそれと共感という言葉の中に同情が含まれるのとは違う。互いに発生の要因足り得るという程度のもの。まああれだ。ツネちょんの文章はわかりづらいことが多いんだよ。横文字多用とか。

>「つけこむ」も「なめてかかる」も相手の心持ちの話なんだよね

なめなめはそうかもしれんが、つけこむは超ちげー。気よつけねーと物理的に被害を被りますよっつーこと。下手すると家族まで危ない。

まー俺のモットーは「ひぼーりょくふふくじゅー」や「めにはめをはにははを」どころか「殺られる前に殺れ」なんで。フフフフ。

  1. ポスターのイメージがこちらしか見つからなかった…。勝手にリンクしてすみません。 ↩︎