birdMSN Messenger 6.1, Subversion 1.0.1, 桜のつぼみが

MSN Messenger 6.1

にアップデートされてから、netbios-ns な UDP パケットをやたらにばらまいているような気が…。
気のせいか?

Subversion 1.0.1

mod_authz_svn が SVNParentPath に対応したり、匿名ユーザも含めた形でアクセスコントロールが出来るように拡張された模様。ますます便利になったなぁ。
それにしても、こちらの日本語訳はいつも対応が早くてとても助かります。今回の拡張についてもさっそく翻訳されているようです。どうもありがとうございます。

桜のつぼみが

大きくなってきましたね。都立大の周りにはたくさん桜の木があって、毎年楽しませてもらっています。アウトレットモールの菜の花畑も綺麗だし、いよいよ春めいてまいりました…。

bird「ビラヴド」, 読書の時間, こないだのデカレンジャー, 日曜に

「ビラヴド」

ビラヴド トニ・モリスン著。南北戦争前後のアメリカにおける、黒人奴隷の「自由」や「自身」を取り戻すための苦悩の日々を描いたお話。あゆみさんに借りた本。

この本では、当時のアメリカにおける黒人奴隷の境遇が、当事者の視点で切々と語られています。読むのがつらいくらいのその告白を読みつづけている間に僕が感じたのは、絶望的な「共感の欠如」でした。白人の『先生』は、単なる家畜と同じように奴隷を扱います。そこに悪意があるわけではなく、奴隷というものが他の家畜と同じ、農場主にとっての資産に過ぎないと思っているだけなんですね。出産可能な年齢の女奴隷は資産を増やしてくれる可能性があるから大切、まだ若い子供奴隷を売って大人の奴隷を二人買おう、女奴隷に子供を生ませるために若い男奴隷とまぐわせよう、エトセトラ、エトセトラ…。『先生』が来る前に農場を所有していたガーナーさんにしても、「同じ人間である」というレベルでは共感を持ちつつ、しかし奴隷という立場への共感は持ち得ませんでした。

一方の黒人の側でも、共感し得ない白人による扱いを受け続けたゆえ、自由州において黒人の権利獲得に尽力している白人に対してすら、彼らの考えていることなど分かるわけがない、とあきらめてしまっています。

本を読みながら僕は、ガンジーさんが菜食主義者だったことを思い出しました。それはもちろん、彼がヒンズー教徒であったことと深い関係があるのでしょうが、彼の持っていた「共感の力」とも関係しているのではないだろうか、と思いました。ガンジーさんが大衆から圧倒的な支持をうけた理由として、大衆と同じ服を着、大衆と同じものを食べて、歩いて大衆の元へ赴き、大衆に対して共感出来る言葉で語りかけることが出来たからだ、と書いてありましたが、ガンジーさんのサッティヤーグラハも、原理的にはその、人間の持つ「共感の力」を用いたものと言えるのではないでしょうか。

人は、共感を感じないものに対してはどこまでも残酷になれるようです。しかし逆に、「共感の力」はアメリカで奴隷制度を廃止させました。他者への共感を拒否する人間はまた、他者に共感されることもなくなってしまう、ということを、いとも簡単に人を殺すことの出来る人達には考えて欲しいです。

読書の時間

総計三時間にもなる行き帰りの電車で本を読んでいればそりゃたくさん読めますがな>うさ。薄い文庫本なんかだと一往復で読み終わっちゃうんですよね。だから最近は厚い本が好き。厚すぎると腕が筋肉痛になっちゃうのが難点。「虚数の情緒」は大変だった…。
森博嗣は犀川&萌の最初の三巻だけ読みました。その野暮ったさが結構ツボなので、そのうちまた続きを読むかも。

こないだのデカレンジャー

「ウメコ、俺じゃない」
わはははははははは。あいかわらず最高っす。今回はかなりお色気過多だったなー。父親向けなんでしょーか?

日曜に

家族でお出かけ。駅を歩いているとあゆみさんが恥ずかしそうにしている。
「どしたの?」
と聞いてみたところ、
すっぱいお口をした Suica ペンギンのポスター1を見て、思わず同じ顔をしちゃったところを、ちょうどすれ違った人にばっちり見られちゃって恥ずかしかった」
とのこと。わはは。あるある、そういうこと。

bird「王の帰還」, そういえば鳥乃は, ここのところ, 次はマレーシア

「王の帰還」

先週の金曜にレイトショーで見てきました。21:00 スタートだと終了は 24:40!歩いて帰れるところに映画館があるんでもないとなかなか見られないスケジュールだよな…。
で、肝心の内容ですが、僕は3時間半があっという間に感じられたほど、楽しめました。どのシーンをとってもおざなりなところがなく、原作への愛を感じる出来だったと思います。
映画の内容には大満足だったんですが、隣に座ったおじさんが…。シーンの変わり目に必ず「ムフー!」と盛大な鼻息を吹くのです。それも「息止めてんのかよ!」と裏拳ツッコミしたくなるような勢い。むちゃくちゃ気が散るがな。

そういえば鳥乃は

大きくなったらドラえもんになりたいのだそうです。こないだ、いつものように「ドラえもんになりたいんだ!」と言った後、小さな声で「僕ドラえもん」と大山のぶ代チックな声でぼそっとつぶやいてました。おとーさんは笑いをこらえるのに必死だったよ。プププ。

ここのところ

更新頻度が低いのは、実生活と脳生活1の比率について最近よく考えているからかも。思うに、どうも僕はこれまで家庭での実生活を軽んじ過ぎていたようで、必要以上に脳生活偏重型だったみたいです。ここを更新することなどの脳生活も確かに必要なことだとは思いつつ、日々の生活の中での比率は今よりもう少し低くてもいいだろうと。それよりももっと人間的な生活を送るために必要な実生活に時間をかけた方が、僕にとっての幸せ度は高まることに最近ようやく気がつきました。子供達にとっても今はその方が良いみたい。

次はマレーシア

F1 の話。今週末はマレーシア GP です。先週のオーストラリアは、開幕戦としては近年稀に見るくらい落ち着いたレースでした。たぶんどのチームも今年から導入された「1レース1エンジンルール」が気になって、「リタイアするくらいなら速度を犠牲にしよう」とコンサバ方向に振ってきた結果なんでしょうが、その反動がマレーシアで出るんじゃないかと今から楽しみ。とっても涼しかったオーストラリアと違い、マレーシアは猛暑ですからねー。明らかに速度の足りなかったチームもちらほらありましたから、今回はきっと勝負をかけてくるに違いない。ドタバタしたレース展開に期待!

birdMS InfoPath, 歩きタバコ

MS InfoPath

が近ごろ流行っているようですね。こちらの記事などを見て思ったのは、クライアントを握っている Microsoft としてはしごく当たり前の展開だとは思いつつ、その革新性はどこにあるんだろうか?ということ。

僕なりの理解では、InfoPath とは、

  1. XML オーサリングツールであり、
  2. FORM 作成/実行ツールである。

というもの。先に紹介した記事でも、「InfoPathは、定形フォームを使ったデータ入力の支援ツールだといえる。」とあり、最後は「一言でいって『もはやクライアント・アプリケーションを開発する必要はない』ということだ。」とまで言っており、つまりは現在 SIer が各企業にカスタム・メイドしている業務系のアプリケーションのクライアント部分に位置づけられる製品/技術であることが分かります。

さて、まず最初に僕が考えたのは、「MS ワールドの外に同等の位置づけの製品はあるだろうか」という点です。同じような業務アプリケーションのクライアント側技術としては、最近は Web ベースとされることも多く、そこで用いられる技術としては Struts/Tiles や JSF、オーサリング環境という意味では Project RAVE が対応することになるのでしょうか。Web ベースの UI はクライアント環境への依存度と機能性がトレードオフとなっており、依存度を低くしようと思えば使える機能は非常に限定されてしまう、という欠点があります。クライアントをガッチリ握っている Microsoft としては、思いっきりクライアント環境に依存する代わりに極めてリッチな UI を提供する、というアプローチはある意味王道と言えます。

しかしそう考えていくと、「それってちょっと前に流行った Client/Server システム (いわゆるクラサバ) とどこが違うの?」という気がしてしまいます。C/S 時代も、クライアント側 UI は VB 等を用いてペタペタ form 部品を貼付けていくだけで作成することが出来ました。また、バックエンドシステムとの間は、ODBC を使って RDBMS 中立を保ちつつデータをやりとり、というのが定番でした。

それら過去の仕組みに対して InfoPath では、XML という中立なデータ構造外部化形式が挟まっていることによって、Client-Server 間のみならず、Client 内に閉じたデータも中立的に、抽象化された形で扱うことが出来る、という点が新しいのかな?構造化された情報自体をユーザが意識しやすくなっている点が革新的?確かにかつてのシステムではユーザが扱っている情報の構造全体を明確に意識することは難しかったですが、反面あえて見せないことでシステムに最適化された形のハンドリングも可能だったわけです。

それに、いわゆる C/S システムから Web ベースシステムへの大きな流れを作った原因の一つである、「クライアント環境への依存度」1はまた元の状態に戻ってしまいますよね?いくら XML がシステム中立なデータ構造とはいえ、その中身に何らかの意味を与え動作させる以上、それを読んで動くプログラムのバージョンにまったく依存しないように保つことは至難の技のように思えます。比較的後方互換性が重要視されている Web ブラウザの HTML レンダリングですら、バージョン間非互換性には皆泣かされてきているわけで。

単なる「リッチなコントロールが使える XML オーサリングツール」という存在としては、実はかなりレアだったりしますから、価値あるものだと思います。マルチメディアを扱える特定業務向け XML オーサリングツールを Java (Swing+JAXP) で作っているのを見ていたことがありますが、やっぱりそれなりにめんどくさそうでしたから…。

すなわちそういうことなのかな?上記記事の「もはやクライアント・アプリケーションを開発する必要はない」っていうのが言い過ぎなだけ?

追記。クライアント環境への依存性、という点では、XML Schema という標準準拠なデータファイルを用意するだけで最低限のフォームは自動生成出来るようですね。でも、妥当性チェックなどの少し突っ込んだ処理を記述するためにはやっぱり JScript や VBScript を用いるようで、この辺は結構微妙。

XML Schema (+妥当性チェックのための独自ロジック) を用意するのと、例えば Struts で入れ物の JSP+form オブジェクト+Validator クラスを用意するのって、前者の方が圧倒的に簡単、ってことは必ずしもない気がするがなぁ。

歩きタバコ

会社帰り、団地に向かう道を歩いていると、歩きタバコしている人を小走りに追い抜く若い女性を見かけ。うーん気持ち分かるなぁ。
体調がいい時はあんまり気にならないけど、すごく疲れている時とかって結構ツライんですよね。しかも帰る方向が一緒だったりするとずっと煙を吸わされちゃったりして。タバコを吸う人にはこういう感覚はよく分からないかもしれませんが、例えて言えば口臭が超臭い人の吐く息を家に歩いて帰る間中吸わされているような感じ、かなぁ。言葉は悪いですが…。

bird2.6.3, libdv, 「立喰師列伝」

2.6.3

自宅マシンの kernel を 2.6.3 へ。Debian backportsの 2.6.2 ディレクトリを apt の sources.list に追加したらなぜか 2.6.3 の source tarball がゲット出来た。

その後はいつも通り、

  • .config をコピーして
  • make oldconfig して
  • make-kpkg –revision tpx20.1 kernel_image して
  • 出来上がった deb を dpkg -i

して完了。

VMware は kernel を上げた後必ず vmware-config.pl をもう一度流す必要があります。会社マシンの 2.6.2 では以前 2.6 対応を行った時のままですんなり実行出来たんですが、自宅マシンの 2.6.3 ではエラーでうまく実行出来ず。まぁ自宅では VMware を使うこと自体希なのでとりあえず放っておくことにしました。そのうちに VMware のバージョンアップで対応されるでしょう。

libdv

kernel を 2.6 台に上げてから一度も実行していなかったので気がつかなかったんですが、IEEE1394 経由で DV カメラ1と動画データをやりとりするのに使う libdv が、Debian 標準の 0.99-woody2 というバージョンではうまく通信出来なくなっていました。どうも video1394 デバイスドライバのインターフェイスが微妙に変わった模様。
しょうがないので Quasar DV Codec Home Page から最新の source tarball を取得し適当にインストール。無事、動画データの送受信が出来るようになりました。
ところでこういった Debian パッケージ外のアプリケーションを入れる場合、最近の僕の好みは home directory の opt 以下にアプリケーション毎にディレクトリを作成し、そこへインストールしてしまう方法。PATH や LD_LIBRARY_PATH 環境変数を適当に修正して利用します。これならば将来正式なパッケージが対応してくれた場合には、単にそのディレクトリを消して PATH と LD_LIBRARY_PATH を戻すだけで修正出来ます。
昔は何も考えずに /usr/local に入れちゃってたりしたんですが、後から消そうと思うとかなりめんどくさいんですよね…。ちゃんと自作 deb を作ってどうこう、というのが Debian では本筋なんでしょうが、それも激しくめんどくさい。

「立喰師列伝」

立喰師列伝 SAK に借りたアホな本。「イノセンス」が今話題の押井守監督の、「立喰師」という架空の (だよね?) ゴト師についての列伝形式の論文。

やーなんと言うか、激しくアホなんですよ。昼前の牛丼屋に現れて店の在庫を喰いつくす、鼻輪をつけまるで野獣のような牛五郎って誰よっ!?(笑。しかし、戦後から高度成長期、学生闘争の時代から現代に至るまでの社会に描写には、押井さんの社会観が、以前ねおんさんと「人狼」を見た時に議論した、学生闘争の影響の大きさ、ってものをここでも感じたような気がしました。彼は「何も生み出さなかった<戦前>」なんて書いてますが、だとしたら僕らの世代は失われた太平洋戦争前後の断絶を繋ぐことを期待されている世代なのかもしれないなぁ…なんて漠然と思ってみたり。

押井さんと言えば、「イノセンス」の主題歌を歌う伊藤君子さんんのインタビューで紹介されている、押井さんのお嬢さんの言葉がとても印象的。

押井さんについては、こんなに物忘れの激しい私でも忘れられないことがありまして。実は、録音の時に、押井さんのお嬢さんがいらしていたので、「どんなお父さん?」て聞いてみたんです。そうしたら、「このお父さんで本当によかった」って言うんですね。「だって自分のためにこんなにいろんな話をしてくれるお父さんって、他にいないと思うから」って。作品についての話よりも、「Follow Me」を歌うためにはこの言葉で十分だったのかも知れませんね。

娘さんにもあの調子で語ってるんだ…という点はさておき(笑、僕も娘が大きくなったらこんな風に言ってもらえるような父親になれるでしょうか。がんばらないと。

birdF1開幕, 電車で, jvim, カプコン

F1開幕

いよいよ今日から 2004 年度の F1 グランプリが開幕しました。
ミシュラン有利、との噂にもかかわらず、初日のフリー走行はフェラーリ+ブリヂストンが 1-2。BAR も好調さを維持していますし、明日の予選が楽しみです。
そういえば今年からまた予選のルールが変わって、土曜日に2回走ることになったんですね。予選を2時間続けてやる、というのはなかなか面白いですね。
そうそう、最近僕がよく見る F1 サイトと言えば、F1-Live.com。ちょっと日本語が変なこともありますが、何より写真が多いし情報も豊富で早い。すっかりお気に入りです。

電車で

隣に座った僕より少し若いくらいのかっちょイイお兄さんが、「のだめカンタービレ」を読んでた。ううぅ読みたい。今度妹のところから借りてこよう。

jvim

僕が普段メインで使っているエディタ、jvim-canna にて1編集中の日本語テキストファイルの文字コードを変更する方法をメモ。

jvim-canna では Ctrl+g を押した時に画面最下段に表示されるステータスラインで現在編集中の日本語テキストファイルの文字コードを判別出来ます。

"whats.html" line 1 of 41 --2%-- col 1/44 ch 0x3c [J]  

一番最後の [J] が文字コードを表していて、「J」なら jis、「S」なら sjis、「E」なら eucjis です。

さて、このファイルを sjis で保存したい場合は、「jc2」オプションに「s」をセットします。

:set jc=s  

eucjis にしたい場合は「e」、jis にしたい場合は「j」です。大文字、小文字は関係ないようです。Ctrl+g を押して先程の表示が更新されていることを確認した後、普通にファイルを保存すると指定した文字コードで保存されます。

最近のバージョンの vim はそのままでも文字コード変換等出来るようですね。僕は Debian woody なのであいかわらず古い jvim を使い続けているのでした3

カプコン

ここのところのカプコンの新作はどれも面白そう。野心的な「鬼武者3」もそうですが、3/11 発売の「MONSTER HUNTER」、4月予定の「Crimson Tears」、先日 PS2 版の開発も発表された「Killer7」などなど。
「Crimson Tears」は「TOBAL No.1」や「バウンサー」などを作った DreamFactory の新作。前の作品はどちらもゲームとして「名作か?」と言われると微妙なんですが、個人的にとても波長が合う感じだったのです。このうち何本買えるかはボーナス次第かな…<そんなんばっかや。

bird「真の独立への道」「ガンジー」

「真の独立への道」「ガンジー」

真の独立への道−ヒンド・スワラージ ガンジー ガンジーさんのことを何にも知らなかったので、ガンジーさん自身の書いた「真の独立への道−ヒンド・スワラージ」と、小学生でも読める伝記の「ガンジー」を読みました。

前者は、イギリス人を追い出して自分達の政府を作ることこそが「自治」だと考えているインド人の「読者」を、ガンジーさん自身を表しているのであろう「編集長」がこんこんと説得するという対話形式で書かれている本です。「自治」とは、みんなの心の中から自然と生じるものでなければならない、銃火でイギリス人を追い出し例えインド人が権力を握ったとしても、それではインドは幸せになれない、と説くそのお話にはとても考えさせられました。

ガンジーさんが重んじている「サッティヤーグラハ」、日本語では慈悲の力、魂の力、英語では「受動的抵抗 (自分の権利を獲得するために自分で苦痛に耐える方法)」と訳されることもある概念とは、例えば、ある人に関係する法律が成立したがその人はその法律が気に入らなかった場合、その法律に従わず、そのために下される罰を受けいれるようなやり方のことです。「読者」が、サッティヤーグラハは弱者の方法で、強者なら大砲を使うだろう、と行ったことに対しての下記の言葉は、カンジーさんの価値感をとてもよく表しているように思います。

あなたはなんと思っているのですか?大砲を放って数百人を殺すのに勇気が要りますか?それとも銃口に笑顔で縛りつけられるのに勇気が要りますか?死を頭に頂いて進む人が勇者ですか、それとも他人の死を手中に握っている人が?男らしくない人は一瞬たりともサッティヤーグラヒーではいられない、それを心にしっかりと留めなさい。

真の独立への道より引用

我々が普段トップダウン的なものと考えてしまいがちな国家というものは、ほんとうにボトムアップで構成されていなければならないのですね。銃火や暴力的性急さで体制のみを変更したところでうまく行かない、国民一人一人が「よりよく暮らすにはどうすればよいか」を考え、自らの心と身体を鍛えて、勇気を持ってサッティヤーグラヒーになろう、というガンジーさんの声にはとても説得力を感じました。

ちょっと前に読んだ養老さんの本にも、こないだ読んだ「神は沈黙せず」の大和田老人の言葉の中にも、一人一人が自分の直接触れられる世界の中で、手の届く範囲で、声の届く範囲で、正しいと思えることを行うように努力することが大事、というメッセージが込められていました。ガンジーさんのようにインド全体、世界全体の何億人にも影響力を与えるようなエネルギーは普通の人にはないかもしれないけど、身の回りの人達に影響を与えることは出来る。そう、世界はボトムアップで構築されているんだよ。みんなが変われば世界も変わるんだよ。

そういうふうに今僕は思うし、これからも考え続けていこうと思う。

bird鍵, U23 代表の石川くん

家に帰りついて、鍵を差し込み、いざ回そうとしたら、グラリ。世界がまわったような気がした。作用反作用。

U23 代表の石川くん

今日のレバノン戦で最後の最後に4点目のミドルシュートを決めた石川くん、それまでもすごいダッシュでボールを奪ったり、最後まであきらめないでプレスをかけたりと、とても光っていました。かっこいいぞ。これからも応援しようっと。

bird冗談みたいなニュース, orkut, 「神は沈黙せず」, 「改造車」と自作PCの奇妙な接点

冗談みたいなニュース

Xbox2 の開発環境が PowerMac G5 って…(汗。

ねおんさんからツッコミが。

だから何でもアリだと…
ところでorkutに召還してみたので、よろ〜

ねおんさんの主張していた「なんでもあり」ってのはこういうことも含むわけですか…(^^;。うぅむ。

ところで orkut ってあれですよね、10日以内にさらに10人以上に仲間を増やさないと呪われる、という…<チゲー。や、どうもありがとうございます。さっそく sign up してみたいと思います。

orkut

で、さっそく join してみたわけです。おぉ。みんなナイスな顔写真作ってるんだなぁ。religion とか political view とか言われてもよく分からないよ…。sexual orientation から fashion、smoking から drinking まで聞かれちゃうのね。出会い系サイトだから当然か<チゲー。
なんだか記入欄がいっぱいあって一度では埋め切れません。ちょっとづつ触ってみよう…。

「神は沈黙せず」

神は沈黙せず sak に借りた本。幼い頃に集中豪雨で両親をなくした、「AI を作りたい」と GA (遺伝的アルゴリズム) の研究者となった兄良輔と、ジャーナリストで行動的な妹優歌が、超常現象やとんでもない男に翻弄されつつ神の意図を探る、という SF。

作者の山本弘さんは「と学会」会長、という情報を事前に聞かされていたせいか、ひたすら語られる超常現象の事例も僕はそれほど気になりませんでした。そういえば去年の夏に読んだ瀬名秀明「BRAIN VALLEY」もそんな感じだったなぁ。「神を追い求める」というお話の構成もちょっと似てる、かも。僕は今回の本の方が好きですけどね。瀬名さんの本は、なんというか、「小説としてのバランス」が非常に悪いような感じて、あんまり良い印象がなかったのです。

世界がそういうもので、神の意図はこういうもの、というメインのアイディア自体はそれほど新規なものではなく1、ストーリーの大きな軸になっている「とんでもない男」加古沢も期待外れ (というか期待通り) なのですが、主要な登場人物が、誰も皆「事実」というものに対してとても真摯な姿勢を持っていて、それがとても良かった。特に、大和田老人が。「信念の倫理」ですよ!

ところで Amazon のレビューでは「考証が甘い」というような指摘があるようですね。「事実」を大きなテーマとして扱う物語だけに余計なのかもしれませんが、僕は書かれたことが真実なのかどうかはあまり大きな問題ではないと思います。登場人物達が「事実」に向かう姿勢をこそ作者は伝えたかったのでしょうし、作中で登場人物達が調べたものをそのまま信じてしまうのでは、この作品で作者が訴えたかったことをなんにも理解していないってことになっちゃいますからね。

人物像の描き方、特に主人公である若い女性、優歌の魅力が僕的には今ひとつと感じ。そういう意味では進化系 SF として同じようなジャンル2の「ダーウィンの使者」の主人公、ケイの方が、同じように行動的な人物ながらより魅力的だったかも。何が違うのかな?

作中、ダグラス.R.ホフスタッターの著作にたびたびふれられていて、フフフリ。「GEB」と「メタマジック・ゲーム」は読んだんですが「マインズ・アイ」はまだ。Amazon のウィッシュリストにずいぶん前から放り込みっぱなしになってるなぁ。ボーナス出たら買おうかな。

「改造車」と自作PCの奇妙な接点

小寺さんの記事。タイトルだけでも猛烈にひざを叩きたい。僕が最近のデスクトップ PC に興味を持てないのはそういうことだったんだなぁ。僕は車の中ではカブが最高、もっと言えば自転車の方が好き、ってタイプなので、ある意味過剰な性能3は全然いらないし、機能性の低いデコレーション系パーツにも全く魅力を感じません。よく出来た自転車のように、機能性を極限まで追求し、キューキョクにぜい肉を削ぎ落とされた製品の方に魅力を感じます。

birdろくでなし, おめでとう, そういえば

ろくでなし

あーろくでなし。すげーろくでなしじゃん。まったく何であんな男に…ぶつぶつ。というのもキムタクドラマ1「プライド」の話。あゆみさんと面白がって見ています。
ああいうふうにとんでもないろくでなしが現れて破壊的な展開になっちゃうのって、少女まんがではあんまり見ない展開ですよね2。あだち充「陽当たり良好!」の克彦さんもいい人だったし。この辺が妹の言う「野島伸司は下品」ってところなのかな。
これまであまりにもベタベタな展開でうーむと思ってたんですが、これからどんどんあざとさが増していってドロドロぐちゃぐちゃになっていったりするのだろーか。それはそれで疲れる…。

おめでとう

今日不思議と、高校時代の先輩と大学時代の友達から同時に「女児誕生!」のニュースが届きました。そういうこともあるんですね。僕の実感として、子供は親が思っているよりもずっと早く大きくなってしまいます。バブバブ言ってる時期なんてほんとあっという間です。あとで後悔しないよう、貴重な時間をじっくりたっぷり楽しんでください。本当におめでとう。

そういえば

新生児のうちって昼夜問わず三時間おきくらいにおっぱいをあげないといけないんですけど、僕は夜に目を覚ましたことが一回もないんですよね。子供が泣いていても全く気がつかないらしい。「こっちが寝不足でくらくらしてる中おっぱいあげてるのに、横で何事もなくくかーと寝てられると結構腹立つわよ」とあゆみさんには言われました(笑。「まぁ眠れなくて身体壊すよりはマシだけどね」と言うお言葉に甘えて、今日も夜は爆睡なのだった3

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