追記
「退避勧告を無視して入国した」という点についての批判については、池澤さんのご意見、
郡山さんと高遠さん、それに今井さんは会社や官庁の命令ではなく、自発的にイラクに行きました。
危険なのに行った。警告はしてあった、と外務省などは言っています。
たしかに彼らは危険を承知で行った。
イラクの現状を見て報道し、子供たちに手を貸し、平和の実現を早めるために行った。
残念ながらこの目的は彼らを守ることになりませんでした。平和のための活動家であることより、イラクに軍を送り込んだ日本という国の国民であることの方を相手は重視した。
彼らは行くべきでなかった、と言う資格はぼくにはありません。行くか行かないか、アンマンでそれを判断できたのは彼らだけです。危険は大きい。しかし自分たちが行ってしなければならないことの意義も大きい。
ぼくは彼らの判断に敬意を表し、無事を祈ります。
と同じように感じています。
ここでも、日本政府の対応には何か硬直したものを感じます。「勧告」は「勧告」であって、法的な強制力を持ちません。日本政府は、本当に自分たちが行っているのが「勧告」だ、ということを理解していたのでしょうか?「勧告」であるということはつまり、政府お薦めの方法を取らない国民も許容する必要がある、ということです。それだけの懐の深さを求められる、ということです。どうも「建前と本音」的な意識の乖離があるような気がしてなりません。
自民党の額賀さんが、「強制的渡航禁止の法整備検討を」と発言されていますが、こういった国民の自由を制限する法律に関しては、ぜひ慎重に議論を重ねていただきたいと思います。昨今の、数にモノを言わせた強行採決ばかりの国会を見ていると、少し悲観的にもなってしまいますが…。
「指輪物語」
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前回読んだのはいつだったかなぁ。中学生か高校生の時だったと思うのですが、ほとんど完全に忘れていたため、どちらかというと映画の印象を反芻しつつ読みました。どうも僕は文章で書かれた風景描写をアタマの中に再現するのが苦手なのですが、映画のイメージがあったことで今回はその点とても楽に読み進めることができました。
「映画が先がいいか、本が先がいいか」と言われれば、僕は映画が先の方がいいんじゃないかなぁ、と思います。映画の方が、やはり短い尺に話を収めるためにいろいろと工夫されている分、どうしても人物描写などがおおざっぱになっています。映画を見たあと本を読めば、より深い記述に総じて満足出来ると思います。逆だと、「ファラミアはそんな人じゃない」とかいろいろ欲求不満がたまりそう。
そういえば、「この物語は暗に当時の現実世界 (第二次大戦) を暗示している」という話を以前よく聞きましたが、トールキン自身が新版の序文で「そういう意図はなかった」と否定しているのですね。トールキンはいわゆる「寓話」と言うものが嫌いなんだそうで、「寓意性を持つ物語」より、「適応性のある物語」を書きたかったのだ、と書いています。なるほどなぁと思いました。